(余録)裕福な一家のだんらんが伝わる… - 毎日新聞(2017年8月14日)

https://mainichi.jp/articles/20170814/ddm/001/070/163000c
http://archive.is/2017.08.14-001328/https://mainichi.jp/articles/20170814/ddm/001/070/163000c

裕福な一家のだんらんが伝わる。「家族」という題の絵の中には上等な着物を着た両親や兄妹がいる。画学生の伊沢洋(いざわ・ひろし)さんが出征直前に描いた。戦没画学生の作品を集めた長野県上田市の美術館「無言館(むごんかん)」に展示されている。
伊沢さんは栃木県の農家に生まれ、東京美術学校へ入学する。繰り上げ卒業し、ニューギニアで戦死。26歳だった。美術館を運営する窪島誠一郎(くぼしま・せいいちろう)さんは著書「『無言館』にいらっしゃい」に「彼らは絵を描くことに打ち込んでいる時だけは本当の自分でいられた」と記している。
戦後の中学生向けの教科書「あたらしい憲法のはなし」にこうある。「人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です」。戦時中に奪われたものの大きさを知る思いがする。本紙で夏の平和企画「忘れゆく国で」が連載されている。年々薄れていく時代の記憶。それを手繰り寄せる糸口が無言館にはある。
「家族」を描いた伊沢さんの家は本当は貧しく、上等な着物など着られなかったという。美術学校の入学金は両親が庭のケヤキを切って工面してくれた。家族に感謝し、いつか裕福な暮らしをさせてあげたいと願って描いたのか。
絵は黙っている。しかし絵の前に立つと作者が語りかけてくる。好きなことを自由にできる時代がいかに尊いか。「家族」の中には幸せそうに画布に向かう伊沢さん自身の姿もある。