(余録)水滴が石灰岩に落ちる音だけが暗闇に響く… - 毎日新聞(2017年8月21日)

 
https://mainichi.jp/articles/20170821/ddm/001/070/163000c
http://archive.is/2017.08.21-000056/https://mainichi.jp/articles/20170821/ddm/001/070/163000c

水滴が石灰岩に落ちる音だけが暗闇に響く。ガマと呼ばれる自然洞窟に入ると夏でもひんやりする。沖縄県南部の南城(なんじょう)市にある糸数アブチラガマは沖縄戦の時、野戦病院として使われた。
戦争末期の1945年5月、約600人の負傷兵が運び込まれた。だが戦況が悪化すると病院は閉鎖され、重傷者が置き去りにされる。ガマに逃げ込んできた地元住民たちとの共同生活になった。
重傷の兵隊は次々に亡くなる。ガマの中に爆弾を投げ込む米軍の攻撃にもさらされた。命をつないだのは、わずかな食料と水だった。洞窟の天井から落ちてくる地下水の滴を軍靴や飯ごうにためて飲んだ。
奇跡的に生き残った兵士9人のうちの1人で、愛知県出身の日比野勝広さんは当時21歳。著書「今なお、屍(しかばね)とともに生きる」で光と闇に触れている。「何ヶ月も暗黒に閉ざされていると『太陽を拝んで死にたい』と日光を求め、緑にあこがれ狂ったようになって(重傷者の)大部分が息絶える」
日比野さんはこうも書く。「全くの闇であったことが、かえって私たちを狂わせずに、少しでも落ち着かせていたのではないだろうか」。ガマに光が差していたら耐え難い光景を目にしていた。日比野さんは戦後繰り返し訪れ、戦友を供養した。
この夏も修学旅行生が懐中電灯を手に見学する。時々明かりを消し、当時の出来事に思いをはせる。戦争が終わり、日比野さんらがガマを出たのは72年前のあす。陽光を浴びた山々の緑をただ見つめていたという。