きょう終戦の日 平和の理想、まだこれから - 東京新聞(2017年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017081502000113.html
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きょう十五日は七十二回目の終戦記念日戦没者の霊を慰めるだけでなく、過酷な戦争体験を継承し、平和をつないでいく決意を新たにする日でもある。旧満州(現中国東北部)から引き揚げてきた作家で作詩家のなかにし礼さん(78)と、英文学者の小田島雄志(おだしまゆうし)さん(86)が、この国に対するそれぞれの思いを語った。

◆作家・作詩家 なかにし礼さん
なかにしさんは、引き揚げで「国家に三度捨てられた」と述懐した。日本軍に置き去りにされたからで、「戦時は国家の正義という論理で個人が抹殺される」と強調。戦争の犠牲から生まれた憲法を「最高の芸術作品。その理想はまだ実現されていない」と語った。
終戦直前、ソ連軍が満州に侵攻するや日本軍の現地部隊は避難列車で去った。「国を守るべき軍人がいち早く国民を捨てる光景」を目の当たりにし、当時六歳ながら「軍人への夢や希望は崩壊した」という。
その列車に、日本人の開拓民が「病人だけでも乗せてくれ」と押し寄せ、貨車にしがみついた。なかにし少年たちは最後尾にいて、軍刀を手にした将校から「(開拓民らの)指を振り払え」と命じられた。「はがされる人の指の感触も、顔も覚えている」と心身に罪の意識が刻み込まれた。
そのうえで「あの戦争でアジア全体で二千万人以上が亡くなった。大変な犠牲を払い、ついに手に入れたのが日本国憲法」と言及。憲法について「奇跡的な、最高の芸術作品。戦後日本の、世界に向けた再出発の宣言書だ」と表現した。
戦前の軍国主義に「美しい日本」を求める昨今の風潮を危ぶむ。「軍国主義がどれだけの人を苦しませたか。愚かな戦争でどれだけの若者が無駄死にし、飢え死にしたか。過去を忘れるのが早すぎる」と嘆く。そして「日本の理想はまだ実現されていない。この憲法のもとにこれから実現するべきだ」と訴えた。
<なかにし・れい> 1938年9月、中国黒竜江省(旧満州)牡丹江市生まれ。作家、作詩家。日本レコード大賞を「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で3度受賞。小説『長崎ぶらぶら節』で直木賞。2012年、食道がんであることを公表した。著書に『夜の歌』『天皇日本国憲法』『生きる力』など。


◆英文学者・小田島雄志さん
本日掲載の「平和の俳句」の作者、小田島さんは、「ハムレット」をはじめとするシェークスピアの戯曲の翻訳を手掛けた一方、演劇評論家としても活躍し、アカデミズムと芝居の懸け橋となった。その若き日に、胸に熱く抱いた言葉がある。「母國」−。それは、旧満州に生まれ育った小田島さんが敗戦後、日本へ引き揚げる中でこみ上げてきた憧れを象徴する言葉だった。
五族協和」をスローガンに、日本人や満州人など多くの民族が協調する国づくりを目指したとされる満州だったが、日本人が優位にある現実は、少年だった小田島さんの目にも明らかだった。満州人の友だちとの間で感じる心の隙間。日本へ帰れば同じ日本人同士、心を開いて人間的な付き合いができるという夢が小田島さんにはあった。
ところが、その憧れの母国で夢は破れた。
<おだしま・ゆうし> 1930年旧満州奉天(現瀋陽)に生まれ、新京(現長春)に育つ。東京大大学院修士課程を修了。同大学で教授を務め、現在は名誉教授。66〜70年には文芸部員として文学座にも所属した。80年にシェークスピアの全戯曲37本を完訳。95年紫綬褒章を受章、2002年文化功労者に選ばれた。