(余録)「フランダースの犬」の物語は… - 毎日新聞(2016年12月18日)

http://mainichi.jp/articles/20161218/ddm/001/070/110000c
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フランダースの犬」の物語は、今の季節に最終章を迎え、クリスマスに終わる。すべてを失ったネロはイブの大聖堂で、あこがれのルーベンスの絵を目に焼き付けると力尽き、冷たい床に崩れ落ちる。パトラッシュが寄り添うと天使たちが舞い降り、主人公と愛犬の魂を天国へ誘(いざな)う。
原作は英国の作家ウィーダが1872年に書いた。日本では1970年代に放映されたテレビアニメが人気を集めた。当時3000万人が見たそうだ。繰り返し再放送されたから、あの最終回に涙を誘われた人も多いだろう。
ところが、所変われば品変わるというわけか、米国ではこの悲劇がハッピーエンドに変わる。ベルギー・フランダース地方の研究者らが、「誰がネロとパトラッシュを殺すのか」(岩波書店)で、日米の国民性の違いを分析している。
日本では「他人の悲しみに共感する能力」や「感動的な自己犠牲」が尊ばれ、悲劇的な結末が好まれる。一方、「厳しい状況から抜け出して幸運をつかむことや自己実現の大切さ」を重んじる米国では、ネロが裕福な家庭に引き取られ、幸せに暮らすという映画になったそうだ。
その米国で、来年1月に発足するトランプ政権の姿が見えてきた。実業家や元軍人を重用した布陣は実利最優先をうかがわせ、波乱含みだ。ハッピーエンド志向のお国柄が、自国第一主義に収まってしまうようでは寂しい。
翻(ひるがえ)って日本。きのう閉会した臨時国会の終盤は政府・自民党の強引さが際立った。TPP、年金改革を採決強行で決着させ、最後はカジノ法だった。悲劇を好む国民性であっても、この結末は歓迎できまい。