(余録)戦前の作家、田中貢太郎は… - 毎日新聞(2017年6月29日)

https://mainichi.jp/articles/20170629/ddm/001/070/108000c
http://archive.is/2017.06.29-013638/https://mainichi.jp/articles/20170629/ddm/001/070/108000c

戦前の作家、田中貢太郎(たなかこうたろう)は郷里の高知県で少年時代に体験した第2回総選挙(1892年)の「血の選挙干渉」の思い出を記している。藩閥政府が全国の警察、地方官吏を動員して行った民党候補への大弾圧である。
警官が民党に投票する者は「不忠不義の徒」で、「強盗にあっても助けない」と言い放つ。演説会では民党の弁士を暴徒が刺しても、警官は知らんぷりだった。民党と吏党(政府派)の衝突では警官隊が抜刀して民党に襲いかかった。
混乱を収めたのは陸軍憲兵隊だった。無法な警官を兵士が制圧した話がしきりに伝わり、さすが軍は公平と称賛された。人々は「委細(いさい)の容子(ようす)は憲兵さんが知っちょる」と歌ったという。昭和史では悪名高い憲兵も民衆の救世主となった。
こちらは東京都議選稲田朋美(いなだともみ)防衛相が自民党候補の集会で「自衛隊としてもお願いしたい」と支持を求めた。そそっかしい向きは自衛隊あげての選挙干渉でも始まるのかと身構えたくなろうが、ご当人はほどなく発言を取り下げた。
公的なタテマエと、私的なホンネのはざまから漏れ出す政治家の失言である。仮にも一時は未来の首相候補といわれた稲田氏だった。そんな政治家に政府機関の中立という大原則を失念させたホンネはいったいどんなものだったのか。
加計(かけ)問題での疑惑隠しともいえる対応に批判が高まるなか、次々と露呈する政権のたるみである。ぽろりと飛び出た公の機関や制度を私(わたくし)する閣僚の言葉が、政権全体の体質の表れではないといえるのか。