(余録)「おれも力が抜け果てた… - 毎日新聞(2017年5月27日)

https://mainichi.jp/articles/20170527/ddm/001/070/173000c
http://archive.is/2017.05.27-011504/https://mainichi.jp/articles/20170527/ddm/001/070/173000c

「おれも力が抜け果てた。これではもう酒ばかりのんで死ぬだろう」。これは鬼平(おにへい)こと長谷川平蔵(はせがわへいぞう)が一向に昇進できぬ塩漬け人事を嘆息した言葉だ。このグチ、時の老中、松平定信(まつだいらさだのぶ)にひそかに報告されている。
「よしの冊子(ぞうし)」とは定信が家臣の隠密から集めた幕府の役人らの動静や風聞、世相一般の極秘記録である。なかには収賄などの情報や醜聞もあるが、摘発が主な目的ではなく、情報は政治的に利用されて定信の権力を裏側から支えた。
もしや今も似たような冊子があるのか。「総理のご意向」文書は実在すると語った前文部科学事務次官の奇怪な醜聞だ。その出会い系バー通いが新聞で唐突(とうとつ)に報じられると、当人はすでに昨秋首相官邸から注意されていたと明かした。
その官邸は文書をろくに調べる気配も見せずに官房長官怪文書扱いし、来歴を明かした前次官を口をきわめて攻撃した。文書の信頼性を否定したいのだろうが、そうまですれば逆に「なぜ?」との疑問をばらまいているようである。
そもそも政策決定がゆがめられた疑惑に対し、文書が「ない」やら「確認できない」のがありえない。役所の文書主義は意思決定の合理性・公平性を担保(たんぽ)する大原則で、今ではデータ保管に場所は要らず、削除後も多くは復元できる。
どんな怪しい意思決定も余人が後日検証できる策がなく、役人は政権中枢の意向のそんたくに必死で、逆らう役人は弱みを握られて葬られる……念のため言い添えるが、「よしの冊子」の時代のことである。