(余録) 江戸幕府の老中、松平定信が… - 毎日新聞(2020年10月15日)

https://mainichi.jp/articles/20201015/ddm/001/070/134000c

江戸幕府の老中、松平定信(まつだいらさだのぶ)が寛政の改革の人事に用いたといわれる風聞書「よしの冊子(ぞうし)」については先日の小欄で触れた。役人たちの情報が記されたエンマ帳のような風評記録集だが、それを作った人物がいる。
定信の側近で信任の厚かった水野為長(みずのためなが)という人である。彼は御庭番(おにわばん)ら密偵も使って幕府役人のほか学者、医者などの行(ぎょう)状(じょう)や評判を収集、また諸大名や外国関係の風聞、朝廷などの情報も報告している。今なら情報機関のトップだろう。
さて、菅義偉(すが・よしひで)首相にも「水野為長」がいたのか。学術会議の人事をめぐり首相の手元の「よしの冊子」の存在を疑った先日の小欄だが、6人の推薦候補を任命せずとの決定には事務方の杉田和博(すぎた・かずひろ)官房副長官が関与していたというのだ。
杉田氏は警察庁出身、内閣情報調査室長などを歴任したから情報のプロだろう。官房副長官という内閣の裏方トップを約8年つとめ、幹部官僚人事を仕切る内閣人事局長も兼ねる人だという。手元には自前の「よしの冊子」もあろう。
政府審議会のメンバー選定で政権に批判的な専門家にダメ出しをしていたとの報道もある。学術会議人事でも同じ調子で排除をしたのか。首相は事務方の官房副長官にその判断を丸投げしたのか。経緯の詳細を明らかにすべきである。
どうやら首相もその側近も、学問の自律を体現する公的機関の人事に政治を持ち込む重大さにまったく無頓(むとん)着(ちゃく)だったらしい。江戸城首相官邸かも見分けのつかぬ自由主義、民主主義知らずにはあきれる。