(余録)憲法を指して「不磨の大典」というのは… - 毎日新聞(2017年5月3日)

https://mainichi.jp/articles/20170503/ddm/001/070/161000c
http://archive.is/2017.05.04-014749/https://mainichi.jp/articles/20170503/ddm/001/070/161000c

憲法を指して「不磨(ふま)の大典(たいてん)」というのは明治憲法発布の勅語にあった言葉という。不磨とは摩滅しないことで、大典ともども随分と大げさな言葉だが、欽定(きんてい)憲法だった旧憲法は不滅・不朽とされていたのだった。
だが改憲がタブー視されたこの憲法にも改正規定はあり、形式上は現行憲法もその産物である。その日本国憲法改憲を党是とする自民党が統治する時代に、何と一項の改変もないまま旧憲法の57年を大きく超える施行70年を迎えた。
憲法を不磨の大典と考える国民は少数になり、いよいよ機が熟してきた」。こう語る安倍晋三首相の言葉とともに迎えた憲法記念日である。だが現憲法が改正されなかったのは何かのタブーのせいではなく、国民の意識的な選択の結果だと反論があって当然だろう。
ちなみに不磨の大典たることを目指した明治憲法は時代の変化に対応できるようはなから簡素に作られていた。実は他国の憲法に比べて条文の簡素なことは日本国憲法の特徴でもあるという(「『憲法改正』の比較政治学」弘文堂)
1990年代の選挙改革など他国なら改憲を要する改革も法改正で行われた。簡素な憲法の適応力である。つまりは制度の改憲は不要だったこと、象徴天皇制や平和・人権条項への主権者たる国民の支持が生んだ改憲なき70年だった。
改憲項目も、その必要性も具体的論議はこれからという今の改憲論だ。もし目指されているのが改憲のための改憲ならば現憲法の「不磨」の70年を軽んじすぎていないか。