http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017041302000131.html
http://megalodon.jp/2017-0413-0956-16/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017041302000131.html
ニューヨークのブロードウェーで一本のミュージカルを見たある歌手は感激し、ホテルに戻るやいなや劇中の一曲を日本語にして持ち帰ろうと考えた。
ミュージカルは映画にもなった「サウンド・オブ・ミュージック」。曲は「Do−Re−Mi」である。それを訳詞した、「ドレミの歌」や「学生時代」「南国土佐を後にして」などのヒット曲で知られる歌手ペギー葉山さんが亡くなった。八十三歳。
「ドレミの歌」の訳詞は簡単ではなかった。劇中では子どもたちに音階を教える場面で使われていたので、子どもの好きな食べ物を織り込もうとした。ドはドーナツのド。レはレモンのレ。ミはミカンでどうか。
ところがファで悩む。そんな食べ物は見つからない。ファの付く清涼飲料水の商品名も浮かんだが、結局、曲全体の明るく前向きな印象から、幸せのシが浮かび、みんなのミ、ファイトのファと自然に口に出た。
戦中や終戦直後はファイトのファの毎日だったか。戦争中は広島にいた祖父を原爆で亡くした。夫で俳優の故根上淳さんは学徒出陣し、戦友のほとんどを失うなど辛(つら)い経験をしている。
「戦争は絶対だめ。核兵器は絶対に反対」。二年前の本紙のインタビューでそう語っていたのが印象に残る。どんな時にも、みんな楽しく<しあわせの歌 さあ歌いましょう>。その伸びのある、強い歌声とのお別れである。