大学と軍事 若手にも考えてほしい - 朝日新聞(2017年3月23日)

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大学などの研究機関は軍事研究に携わるべきではないとする声明案を、日本学術会議の委員会がまとめた。あすの幹事会を経て4月の総会で採択される見通しで、その意義は大きい。
文系、理系をあわせた科学者の代表機関である学術会議は、1950年と67年に「軍事目的の科学研究を行わない」との声明を出している。
今回の声明案は、軍事研究が学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを確認したうえで、過去の二つの声明を「継承する」としている。
自衛のための研究を容認する声もあったため、いまの言葉で正面から宣言する方式でなく、「継承」という間接的な表現になった。物足りなさは残るが、予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られるなか、科学者たちが集い、学問の原点を再確認したことを評価したい。
もちろん、これで問題がすべて解決するという話ではない。筑波大での学生アンケートでは、軍事転用を見すえた技術研究に賛成する意見が、反対を上回った。「転用を恐れたら民生用の研究も自由にできない」との理由が多かったという。
たしかに同じ技術が軍民両用に使われることは多い。研究開発した技術の使い道に、最後まで責任を負うよう科学者に求めるのは、現実的ではない。
だが、民生用に開発した技術が軍事転用されることと、最初から軍事目的で研究することとの間には大きな違いがある。
軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。
50年と67年の声明は、科学技術の牙を人類に向けてしまった歴史に対する痛切な反省に基づく。学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。
学術会議が議論を進めているさなかに、米軍の資金が大学の研究者に渡っている実態が判明した。これも「伝承」の弱さを裏づける証左の一つだろう。
今回の声明案は、資金の出所がどこか慎重に判断するのとあわせ、軍事研究と見なされる可能性があるものについて、大学などには技術・倫理的な審査制度を、学会には指針を、それぞれ設けるべきだとしている。
若手研究者もぜひこうした場に参加して、多角的な議論に触れ、科学者の責任とは何か、考えを深めていってもらいたい。