(余録)江戸時代の農村指導者の… - 毎日新聞(2017年3月23日)

http://mainichi.jp/articles/20170323/ddm/001/070/180000c
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江戸時代の農村指導者の大原幽学(おおはら・ゆうがく)は子どもを一定期間、他家に預けて教育してもらう「換え子教育」を提唱した。境遇の違う他家で学ぶのを重んじたのである。子を預かった家はわが子と分け隔てなく愛情をかけて育てるのが心得とされた。
何事も一人でできるようにするには「口で教えると口で覚えるので、ともかく行いを示して教えよ」などの心得の中に、「食事については意地汚くならぬよう心がけよ」もあった(小泉吉永=こいずみ・よしなが=著「『江戸の子育て』読本」)。ひもじい思いをさせないのはその要諦(ようてい)だろう。
それにしても人さまの子を大勢預かりながらその空腹を意に介さなかった神経が空恐ろしい。そう、兵庫県姫路市認定こども園で約70人の園児に40人分余の給食しか与えていなかったという仰天(ぎょうてん)の保育実態のことである。
定員を大幅に超える園児を受け入れながら給食は定員分しかなかったのだ。園児への扱いがこうならば、保育士の人数も水増しして給付金を受け取り、保育士に過重な労働を強いていたと聞いても驚きはしない。分け隔てのない愛情が向けられたのは人ではなかった。
姫路の一保育園のニュースに全国の親たちが耳をそばだてたのは、似たような保育園が身近にもありはしないかとの疑念が胸をよぎるからだ。保活にさんざん苦労したあげく、入れた保育園がこうだったらと身につまされる思いで騒ぎを見守っている方々も多かろう。
江戸時代の幼児教育ではウソがもたらす「表裏」が子どもの心を害する大悪とされていた。保育園や幼稚園の経営にまつわる表裏がしきりに報じられる昨今の光景、何ともご先祖に顔向けできない。