日系米国人二世が見た「戦争」 米ユタ州在住・ナカイさん きょう目白で講演:東京 - 東京新聞(2016年11月8日)

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太平洋戦争中の米国で、強制収容された日系米国人二世のステンドグラス作家ユリコ・ナカイさん(84)=ユタ州在住=が8日、豊島区目白1の学習院大目白キャンパスで講演する。ナカイさんは日系人の強制収容について「戦争という特異な状況の中で多くの人々が一種のヒステリー状態に陥った結果だった。二度と繰り返してはいけない」と話している。 (石井紀代美)
ナカイさんはカリフォルニア州・ロサンゼルス出身。日本軍による真珠湾攻撃の翌年一九四二年三月、十歳の時、両親と兄の四人で暮らしていた自宅を追い出された。終戦後の四五年九月まで、ロサンゼルスから東へ約千五百キロ離れたコロラド州・アマチの強制収容所などで暮らした。
アマチでは、広大な砂漠地帯に並べられた木造のバラック小屋に約九千人の日系人が押し込まれた。周囲は有刺鉄線で囲われ、塔の上から銃を持った兵士に監視されたという。
ナカイさんは子どもながらに、「私は同じ米国人なのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか」と不条理を感じたという。
ナカイさんはこれまでに七、八回、親戚に会うために来日したことがあるが、講演で体験談を語るのは今回が初めて。先月中旬に来日した後、両親の故郷の和歌山や広島など計四カ所で、大学生や高校生らを前に経験を話してきた。
ナカイさんは「戦時中は米国全体が感情的になり、理性的な判断ができず、日系米国人と日本人の区別もできなかった。戦争になれば、多くの人がこのようなヒステリーに巻き込まれるということを私たちの悲劇から学んでほしい」と強調している。
講演は午後六時から。参加無料。問い合わせは法学部共同研究室=電03(5992)0613=へ。

<日系米国人の強制収容> 太平洋戦争中、日系米国人は国家の安全を脅かすとの考えから、米国政府が国内10カ所以上に強制収容所を設置し、12万人以上の日系人を収容した。終戦から40年以上がたった1988年、米政府が「重大な基本的人権の侵害だった」と初めて公式に謝罪し、収容者に補償金を支払った。