経験者だから支える 60歳まで覚醒剤で何度も服役…依存者更生へNPO:茨城 - 東京新聞(2016年4月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201604/CK2016040502000150.html
http://megalodon.jp/2016-0405-0937-14/www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201604/CK2016040502000150.html

プロ野球選手の清原和博被告(48)が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕、起訴されるなど、薬物犯罪への注目が集まる中、60歳まで覚醒剤使用で服役を繰り返した後、NPO法人を立ち上げ、薬物依存症などのリハビリを支援している男性がいる。鹿嶋市の栗原豊さん(73)で「体験した自分だからこそ、できる仕事」と活動を続けている。 (宮本隆康)
「調子はどうだ」。鹿嶋市内の畑で農作業をする男性たちに、栗原さんが声をかけると、生き生きとした笑顔が返ってきた。農作業は、NPO法人潮騒ジョブトレーニングセンター」の職業訓練の一つ。「働く喜びや達成感を知れば、社会に出やすくなる」と、センター長の栗原さんは期待する。
入所するのは、薬物やアルコール、ギャンブル依存症の二十〜八十代の男女約百三十人。市内などの約十カ所の施設で生活する。回復プログラムの集団ミーティングのほか、農業や建築、介護などの職業訓練にも力を入れている。
栗原さんは埼玉県出身。三歳の時に養子になり、養父母から虐待を受けたという。「怒りと恨み、反発心の塊だった」と振り返る。十三歳から酒を飲んでは暴れ、二十歳で暴力団組員に。二十五歳で覚醒剤に手を染め、依存症になった。
刑務所を行き来し、妻と娘二人は離れていった。常に幻聴と幻覚を抱え、日常生活に支障が出るようになり、組を追われた。覚醒剤を買うため借金を重ね、仲間からも相手にされなくなった。服役は七回、計二十年余りに及んだ。
二〇〇三年に六十歳で出所した時、出迎える仲間がいないことにショックを受けた。めいに強引に連れられ、茨城県内で薬物依存症患者の民間リハビリ施設「ダルク」に入った。
かつての仲間がいない見知らぬ土地で、回復プログラムを受け、ほぼ順調に立ち直った。数カ月後には職員として働き始め「組員、薬物、アルコール依存症を全部経験し、接し方が分かる。自分にうってつけの仕事」と〇六年に独立した。
各地の刑務所や拘置所の薬物依存症患者に「私のような人間でもやめられる」と、入所を呼び掛ける手紙も送る。発足から十年以上がたち、刑務所から視察を受けるまでになった。
すぐに施設を出て行き、再び逮捕される覚醒剤依存症患者でも、裁判で弁護側の証人を引き受ける。入所者が薬物などを断った日は毎年、「生まれ変わった誕生日」として祝う。「ポケットマネーでプレゼントを買い、手渡すのが至福のとき」と目を細める。
「事業を始め、仲間がいて、必要とされ、人として生まれ変われたと実感する」という。覚醒剤使用で瞳孔が開き、まぶしくて避けていた日光を、暖かく心地よいと感じるようになった。疎遠だった娘からは初めて「お父さん」と呼ばれた。栗原さんは最近、「今日のために、苦しんだ過去はあった」と思っている。