余録:幕末の日本を見て「子どもの楽園」と呼んだのは… - 毎日新聞(2015年11月14日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20151114k0000m070129000c.html
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幕末の日本を見て「子どもの楽園」と呼んだのは「大君の都」を書いた英国の初代駐日公使オールコックだった。路上のいたるところ子どもらがわいわい騒ぎ、女ばかりか男も赤ん坊をあやしていた。
もう一つ彼が驚いたのは人々の暮らしが外から丸見えだったことである。「表は開けっ放しになっていて、中が見え、家人らは働いたり、遊んだり、−−朝食、昼食、そのあとの行水、女の家事、はだかの子どもたちの遊戯、男の商取引や手細工−−なんでも見える」
プライバシーのない暮らしは欧米人には驚きだったろう。思えば日本人もそんな場所からずいぶん遠くへと来たものである。お互いの視線を隔て合う文明に学んで成功を収め、気がつけば児童虐待という病をその中に宿してしまったかつての「子どもの楽園」である。
約9万件−−先月発表されたのは全国の児童相談所が対応した昨年度の児童虐待件数である。むろん過去最多で、虐待児童のきょうだいへの心理的な打撃や、親が子どもの前で振るった配偶者への暴力も含む。地域社会の関心の高まりも通報や相談を増やしたようだ。
密室で心身をさいなまれる子ども、また孤立した子育てから虐待に走る親を思えば、虐待発覚の増加はむしろ救いと受け取れる。だが、それは児相が個々のケースに適切な対処ができればの話である。以前から要員不足をいわれてきた児相の態勢はすでに限界という。
「189」は7月に始まった虐待の通報・相談ダイヤルで、地域の視線もようやく苦しむ子どもに届き始めた。なのに肝心の救いの手が足りないとは……「楽園」の子孫としては情けなさすぎる。