鶴見俊輔さん 民衆の中によみがえる - 東京新聞(2015年8月2日)

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安全保障関連法案の国会審議真っただ中、鶴見俊輔さんが、この世を去った。自由を愛し、自立を求め、命を貴び、行動し、そして何より、戦争を嫌悪した人の魂は、今どこにあるのだろうか。
鶴見さんは、戦後日本を代表する思想家だった。
思想家とは何だろう。広辞苑には「思想が深く豊かな人」とある。つまり、よく考える人である。
鶴見さんのユニークさは、雲の上から世間を見下ろすようなことはせず、いつも大衆とその暮らしの中に身を置いて、心を自由に遊ばせながら、思索を深めたことにある。
毎日スーパーへ買い物に出かけ、ご近所との立ち話の中から、人間や歴史を論じ、映画や漫画を語り、戦争と平和について考えた。
考えて、論じるだけには、とどまらない。膨大な著作をものし、丸五十年の長きにわたり、雑誌「思想の科学」を発行し続けた。
そしてその上、行動する人でもあった。
若いころから不良を自認し、国内では進学できず、米ハーバード大学に留学した。そこでプラグマティズム実用主義)に出会う。
思想の真価は、それを行動に移してみないと分からない−と考える、米国流の哲学だ。
「非暴力直接行動」を掲げて、「ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)」に参加し、「九条の会」の呼び掛け人になった。
行動という枝葉、思想という幹の根元には「反戦」という土壌があった。
大戦中は海軍軍属の通訳として、ジャカルタなどに送られた。
「戦争中に私は、生き残りたいと思ったことはない。殺したくない。ただそれだけだった」(「戦争が遺したもの」)と語っていた。
暑い夏。政権は自らの「正しさ」と数の力を振りかざし、憲法をねじ曲げて、戦争ができる普通の国へと、あと戻りを急ぐ。鶴見さん、あなたが嫌悪したものばかりではないか。
だが、あなたは書いた。
「全体が戦争の準備に向かって大きく流れてゆくとき、私たちは、個人の立場、自分の基準をしっかり、はっきりと定めて、そこに不動の姿勢を保つということが大事になります」(「グラウンド・ゼロからの出発」)と。
国会前で「反戦」「非戦」を唱える声はますます高くなる。
あなたが愛した民衆の渦の中、鶴見さん、あなたは既に、よみがえろうとしているのではないか。