日高六郎さん死去 「戦後民主主義を体現」 - 東京新聞(2018年6月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018060802000137.html
https://megalodon.jp/2018-0608-1032-04/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018060802000137.html

七日亡くなった社会学者の日高六郎さんは、「行動する学者」だった。ベトナム戦争に反対する運動団体「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)では、作家の小田実さんや評論家の鶴見俊輔さんらとともに活動の中心を担った。
「東大教授という立場にもかかわらず、ベ平連に正面から入って権力と闘った。人生を通して戦後民主主義を体現した人」と、ベ平連でともに活動した評論家の小中陽太郎さん(83)。
印象に残るのは、脱走した米兵四人をかくまった一九六七年の出来事だ。四人は横須賀に停泊中の米空母から反戦を理由に脱走し、ベ平連の支援を求めた。ベ平連は、記者会見を開いて映像で反戦米兵の声を紹介しようと、NHK出身の小中さんに演出を任せた。
日高さんは、小田さんや鶴見さんとともに、カメラの前で反戦を訴えた。「小田さんのぶっきらぼうな話し方とは全然違う、とてもうまい演説でした」。それまでベ平連との関わりは薄かった日高さんも、自宅に米兵を泊めるなど熱心に協力したという。「インテリであり、行動を大切にする冒険家でした」
ベ平連は、市民や学生が立場を超えて団結した運動だったと評価される。十代後半でベ平連に参加したノンフィクション作家の吉岡忍さん(69)は「集まった人たちが排除し合わなかったのは日高さんがいたからこそ」と話す。「調整役として精力的に走り回り、見ていてすごいなあと思うほどでしたよ」
吉岡さんは数年前、京都で日高さんに会った。安保法制や憲法改正への懸念を語り、若い世代の政治への無関心を「大丈夫かな」と心配していたという。
「日高さんが追究したのは、『生活に根差した社会学』でした。身近なことと社会のことを同列にして率直に語り合える場があってこそ、市民社会は成り立つと考えていたんです」 (小佐野慧太)