倉本聰さん父 投稿で摘発 信仰、戦争の標的に-東京新聞(2014年9月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000123.html
http://megalodon.jp/2014-0915-1708-31/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091502000123.html

倉本さんは投稿文を「理解に苦しむくらい回りくどい」と苦笑する。文中で世界平和を願う一方、戦死を恐れることを「か細い感傷」と批判もする。当時のもの言えぬ空気が行間からにじんだ。

戦後、山谷さんは日本野鳥の会の再結成に尽力し五二年に亡くなった。倉本さんは、戦後信仰から遠ざかったものの、正義感は父から受け継いだとの自負がある。代表作のドラマ「北の国から」では、主人公が食事前に神に祈る。父が戦時中も祈りを欠かさなかったからだ。倉本さんも、スポンサーに表現を制限されて苦々しく感じたこともあった。「信仰を規制されることがどれほど嫌なことだったか」

自由な表現が再び制限されかねない特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされたことに危機感をおぼえる。言論統制を受けた父の世代はほとんど亡くなり、空襲を経験した自分たちの世代も減りつつある。「血のにおい、硝煙のにおいを、少なくとも私はかいだ。今の政治家は戦争を知らなすぎる」

戦時下のキリスト教弾圧 国は戦争のために国民の思想統制を進め、信仰にかかわらず天皇を神と信じるよう求め、礼拝時に君が代を歌い、皇居の方角を拝むことを義務付けた。宗教者たちは特高に監視され、反戦を唱えたり神社参拝を拒否したりした場合、治安維持法違反などを理由に摘発された。国の意向で、プロテスタントは約30の教派が日本基督教団に、カトリックも日本天主公教教団に、それぞれ統合され、戦意高揚や資金面で戦争に協力した。