(私説・論説室から)愛国歌「お山の杉の子」 - 東京新聞(2017年7月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017071202000141.html
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私が子どもの頃、「歌のおばさん」として有名だった安西愛子さんが百歳で亡くなった。戦時中に童謡「お山の杉の子」で本格デビューしたという。
友人たちとカラオケで童謡、唱歌を歌い合ったことがあり、私がこの歌を選んだら画面には戦前の元の歌詞が出ていた。杉の子は立派に成長し、お国のために役立った…。後で調べたら、五番の前半は「大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船 傷痍(しょうい)の勇士の寝るお家(うち) 寝るお家」だった。杉は軍艦の建材に使われ、戦死者のひつぎにもなった。六番は「お日さま出る国 神の国 この日本を護(まも)りましょう」で締めくくる。戦意高揚の愛国歌だったのだ。
戦後、四番以下の歌詞は一変する。詩人サトウハチローが、自作ではないこの歌の歌詞を補作した。五番は「大きな杉は何になる お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん) とんとん大工さん たてる家 たてる家」と、復興の様子に。六番も新生日本の心弾む内容になった。
サトウは言論統制の時代にも、戦争の悲しみをさりげなく表現した。「めんこい仔(こ)馬」は成長して軍馬に徴用される話、「もずが枯れ木で」は出征して満州中国東北部)にいる兄と、兄がいない農家の冬の風景を見事に対比させた。戦争が終わって「お山の杉の子」を書き改めた時、どんな思いを伝えたかったのだろうか。 (山本勇二