原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言-毎日新聞(2014年7月26日)

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http://mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c.html
http://megalodon.jp/2014-0806-1110-02/mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c.html
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http://mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c2.html
http://megalodon.jp/2014-0806-1110-30/mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c2.html
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http://mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c3.html
http://megalodon.jp/2014-0806-1110-57/mainichi.jp/select/news/20140726k0000m040114000c3.html

長崎に原爆が投下された1945年8月9日、米軍爆撃機B29の来襲に備え、福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所で「コールタールを燃やして煙幕を張った」と、製鉄所の元従業員が毎日新聞に証言した。米軍は当初、小倉市(同)を原爆投下の第1目標としていたが、視界不良で長崎に変更。視界不良の原因は前日の空襲の煙とされてきたが、専門家は「煙幕も一因になった可能性がある」と指摘する。


参考
「日本の原爆計画」(探究モード)- TBSラジオ荻上チキ・Session22(2014年8月5日)

http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/08/20140805.html

ポッドキャスト
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20140805main.mp3

■テーマ

原爆の日」を前に考える。

日本の原爆製造計画とはいったい何だったのか?

■ゲスト

神奈川大学名誉教授の常石敬一さん

恵泉女学園教授で、ジャーナリストの武田徹さん

原発関連ニュースでおなじみ、TBSラジオの崎山敏也記者もスタジオで参加。


なぜ広島に原爆が投下されたのか -「ヒロシマの心を伝える会」

http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_e12.html

▽原爆投下目標にされた都市▽
<投下目標の変遷(1945(昭和20)年)>
4月27日 投下目標の研究対象として、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保の17地域を選定
5月11日 京都、広島、横浜、小倉を選定
5月28日 京都、広島、新潟に対し空襲を禁止
6月14日 小倉、広島、新潟を選定
7月25日 8月3日ごろ以降、速やかに広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ原爆を投下する命令
8月 2日 8月6日に投下する命令。優先順位は広島、小倉、長崎
8月 6日 広島へ原爆投下(ウラン爆弾)
8月 8日 8月9日に投下する命令。優先順位は小倉、長崎
8月 9日 長崎へ原爆投下(プルトニウム爆弾)

福島・石川町にウラン鉱石 戦時中、原爆開発で採掘:井上能行のふくしま便り:東日本大震災-東京新聞(2013年10月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2013100402000185.html
http://megalodon.jp/2014-0806-1111-42/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2013100402000185.html

町立歴史民俗資料館で開かれている企画展「ペグマタイトの記憶−石川の希元素鉱物と『ニ号研究』のかかわり」(十一月三十日まで、入場無料)を見た。ニ号研究とは、陸軍の原爆開発計画の暗号名だ。
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入り口近くのガラスケースの中に標本が並んでいる。ウラン鉱物として有望視されたサマルスカイト(サマルスキー石)は、乳白色の石の中に含まれる黒っぽい鉱物だった。

三階には、石川町でのニ号研究を率いた、理化学研究所の飯盛里安博士に関する資料が並んでいた。採掘場の写真もある。地元の石川中学(現在の学法石川高)の三年生約百八十人がわらじ履きで働いたという。
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石川町では一九四五年四月、陸軍が民間工場をニ号研究用に徴収し、東京から機械を運び込んだ。中学生の動員も四月から。石川町産では足りないと、マレー産の鉱石も輸送した。しかし、六月下旬には研究中止が決まった。

「石川町産の鉱石は、有用鉱物をより分ける選鉱までいったかどうか。(ウランの含有率を高めた)イエローケーキを作る時間はなかっただろう」と橋本さんはみている。

研究中止が決まっても、中学生は八月十五日まで鉱石掘りを続けさせられた。理由は不明。国家機密の闇の中だ。