(余録)「原爆外交論」とは、広島・長崎への原爆投下は… - 毎日新聞(2016年4月8日)

http://mainichi.jp/articles/20160408/ddm/001/070/130000c
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「原爆外交論」とは、広島・長崎への原爆投下は日本の降伏より米国が対ソ外交で主導権を握るためになされたという説だ。1960年代に米歴史家が唱え、激しい論争を巻き起こしたが、それを補強する史料や研究が数多く提出されてきた。
この説でのキーパーソンが当時の米国務長官バーンズである。彼は日本の降伏に原爆投下は不要だという米陸海軍トップらの判断を退け、大統領に原爆使用を強く進言した。またポツダム宣言から天皇制容認の提案を排し、原爆を投下する機会を作ったともいわれる。
バーンズは原爆の惨禍が明らかになり、外交的成果も得られなかった戦後は自らの役割を公言しなかった。逆に隠そうとした形跡を、原爆外交論を唱えた歴史家のアルペロビッツ氏が追跡した(「原爆投下決断の内幕」)
時は流れ、米国務長官として初めて広島を訪れるケリー長官はじめ主要7カ国(G7)外相がそろって平和記念公園を訪問する。10日から開かれるG7外相会合に合わせたもので、同じく核保有国の英仏外相を含む一行は原爆資料館を視察し、原爆慰霊碑に献花する。
今も人類は政治・外交指導者の錯誤が招く核の惨禍の恐怖から解き放たれていない。むしろ核恫喝(どうかつ)をためらわぬ大国や、独裁国家への核拡散を見れば、ますます遠ざかる「核なき世界」だ。何とか核軍縮と不拡散への流れを再起動したい広島でのG7外相会合である。
各外相はどうか70年余り前に世界大の力の駆け引きが招いた一都市住民の惨禍を見つめていただきたい。それが原爆投下の推進者に自らの足跡を隠させようとした核兵器の唯一無二(ゆいいつむに)の現実である。