余録:ひと組の男女が結婚式を挙げる。その家に列席者… - 毎日新聞(2015年8月9日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150809k0000m070136000c.html
http://megalodon.jp/2015-0809-1116-30/mainichi.jp/opinion/news/20150809k0000m070136000c.html

ひと組の男女が結婚式を挙げる。その家に列席者が集まる場面から物語は始まる。出産が近い妊婦、音信不通の恋人を待つ女性……。庶民がつつましく生きている。戦争末期、夏の長崎が舞台だ。
作家、井上光晴の小説「明日 一九四五年八月八日・長崎」。明日とは原爆が投下された8月9日。前日の出来事を中心に描く。被爆70年に市の記念事業として「明日」の劇が上演された。
制作責任者の津田桂子さん(69)は母の胎内で被爆した。未熟児で生まれ、母は医師に「長くは生きられないでしょう」と告げられていた。淡々と過ぎていく一日がいかに尊いものか、劇で伝えたかった。出演者の公募に手を挙げたのは、あの日を経験していない大学生、主婦、会社員らだ。
井上は30年以上前、この小説を書くために幾度となく爆心地の周辺を歩いた。漬物屋や食堂が軒を連ね、家々には洗濯物が干されている。その街角にたたずみ、慄然(りつぜん)とした。目の前にある穏やかな暮らしと8月8日が重なったのだ。劇の舞台に立った人も観客も井上と同じ思いを抱いたに違いない。
小説の中で妊婦は難産の末、9日早朝に産声を聞き、母になった喜びをかみしめる。<私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗(のぞ)く握り拳がそう告げている>。生まれた子はその後どうなったのかと読者から手紙が届く。作家は答える言葉を持たなかった。原爆が何を奪ったのかは読者の想像に委ねられた。
今ある日常が「明日」も続くために、私たちに何ができるだろうか。核なき世界はまだ遠いけれど。夜が明け、夏の新しい一日が始まるところで物語は終わる。<<