14年版白書 それでも「専守防衛」か-東京新聞(2014年8月7日)

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二〇一四年版防衛白書は依然、基本政策に「専守防衛」を掲げている。自らが攻撃されていなくても反撃する「集団的自衛権の行使」を認める閣議決定をしながら、専守防衛だと言えるのか。

五日の閣議に報告、了承された防衛白書は、日本を取り巻く国際情勢や政府の安全保障政策を説明する、防衛に関する年次報告書である。一九七〇年に創刊され、七六年から毎年刊行されている。

刊行四十回目の節目となった今年の白書は、従来とは一線を画す内容となった。集団的自衛権の行使をめぐる記述である。

集団的自衛権は、日本が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、実力で排除する権利だ。

昨年までは「憲法第九条で許容される実力行使の範囲を超え、許されない」と記していたが、今年は一転、「必要最小限度の実力行使は、憲法上許容されると判断するに至った」「憲法上許容される武力の行使は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合がある」などと記述を大幅に変更した。

七月一日の閣議決定で、憲法九条で許される自衛権の範囲を拡大したことが反映されているが、解せないのは、基本政策に依然「専守防衛」を掲げていることだ。

攻撃されたときに初めて防衛力を行使する専守防衛は、先の大戦の反省に基づいた戦後日本の「国のかたち」でもある。

専守防衛は、安倍内閣が昨年十二月に決定した「国家安全保障戦略」にも明記され、安倍晋三首相は七月の閣議決定後も、専守防衛などが「今後とも変わることはない」と国会で答弁している。

しかし、専守防衛と、直接攻撃されていなくても、外国同士の戦争に加わる集団的自衛権の行使とは本来、相いれないはずだ。

集団的自衛権の行使容認に踏み切りながら、専守防衛と言い続けるのは詭弁(きべん)ではないか。専守防衛の看板を掲げ、日本の軍事的役割を拡大させるのも危うい試みだ。

私たちの新聞は、専守防衛を支持し、現行憲法集団的自衛権の行使を認めていないと主張してきた。行使容認の閣議決定後も、この立場はいささかも揺らがない。

国際情勢の変化に応じて安全保障政策を不断に見直すのは当然だが、行き過ぎれば「安全保障のジレンマ」に陥り、軍拡競争を誘発しかねない。専守防衛に徹することこそが、平和に貢献し、国際社会の信頼を勝ち取る道である。