有識者会議 退位、特別立法に反対なく…議事概要公表 - 毎日新聞(2016年12月26日)

http://mainichi.jp/articles/20161226/k00/00e/010/151000c
http://megalodon.jp/2016-1227-0923-54/mainichi.jp/articles/20161226/k00/00e/010/151000c

政府は26日午前、天皇陛下の退位に関する安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の第7回会合の議事概要を首相官邸のホームページで公表した。自由討議は退位容認を前提に進み、今回に限り退位を認める特別立法に反対する意見はなかった。
会合は14日に開かれた。有識者からは「将来の天皇については、その代と次世代の年齢的な間柄や、そのときの政治・経済状況が不確定なので、将来まで規定するような法律にはしない方がよい」「年齢を退位の要件として書き込むことはできない」など、退位の恒久制度化に否定的な見解が相次いだ。
一方で「今の陛下についてのみ決めていくべきではないか」「今の状況に鑑みて、特例としての退位はあり得るのではないか」と特別立法による対応を求める意見が出た。【田中裕之】

天皇陛下の退位に関する安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」
第7回 平成28年 12月14日 議事概要(PDF)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai7/gijigaiyou.pdf

「容疑者殺害」発言を国連が捜査要求 ドゥテルテ氏反発、強気の姿勢崩さず - 東京新聞(2016年12月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201612/CK2016122702000141.html
http://megalodon.jp/2016-1227-0938-00/www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201612/CK2016122702000141.html

バンコク=山上隆之】フィリピン南部のダバオ市長時代に自ら犯罪容疑者を殺害した、と発言したドゥテルテ大統領に非難の声が広がっている。国連はドゥテルテ氏を殺人容疑で捜査するようフィリピンの司法当局に要求。だが、ドゥテルテ氏は国連に「指図をするな」と反発し、強気の姿勢を崩していない。
国連のザイド人権高等弁務官は二十日、声明で「ドゥテルテ氏本人も認めているように、市長時代の行為は殺人にほかならない」と指摘。「司法当局は法の順守や行政機関からの独立を示すためにも、捜査を開始しなければならない」と促した。
これに対して、ドゥテルテ氏は二十二日の演説で、ザイド氏を「ばか」呼ばわりするなど暴言を連発。現地メディアによれば「国連職員の給料は私たちが払っている。私は雇い主なんだから、従業員は黙っていてください」と語った。
AFP通信などによると、ドゥテルテ氏の発言は十二日夜、首都マニラでの企業関係者向けスピーチで飛び出した。ダバオ市長時代に容疑者を自ら殺害し、「警察に手本を示すためだった」と語った。大統領周辺は「正当な警察活動の一環だった」と弁明している。
ドゥテルテ氏は大統領就任以来の強権的な麻薬撲滅対策も手を緩める気配はない。警察当局の発表では、既に警察が約二千人を殺害し、四千人近くが自警団などによって殺されている。
これに関連して、米グラミー賞受賞の歌手ジェームス・テイラーさん(68)は、来年二月にマニラで予定していたコンサートを中止すると発表。自身のフェイスブックで「司法手続きを踏まずに容疑者を殺害するというやり方は、法の支配を愛する者にとって容認できない」と批判した。

ベルリン・テロ それでも寛容保つ決意 - 東京新聞(2016年12月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122702000149.html
http://megalodon.jp/2016-1227-0937-40/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122702000149.html

にぎわいに満ちたドイツの首都ベルリンのクリスマス市(いち)は一転、惨劇の場と化した。寛容政策に付け込んだテロは、絶対に許されることではない。
旧西ベルリンの中心街。愛らしいクリスマス用品や、ホットワインの薬味の香りが誘う、心和ませる場所であり、時だった。
突然、突っ込んできたトラックになぎ倒され、十二人が犠牲となり、四十八人がけがをした。
メルケル首相は「ドイツで保護され、難民申請した者の犯罪と確認されれば、ひどくつらいことだ。本気で保護を求めている人には忌まわしいことだ」と、苦渋の表情で語った。
残念なことに、首相の言葉は半ば的中した。
容疑者は、難民申請をして却下されたチュニジア人(24)。逃亡先のイタリアで射殺された。
ドイツで戦闘員を勧誘していた過激派組織「イスラム国」(IS)のグループに属していた。ジャスミン革命後の二〇一一年にイタリアに入国、暴行などの犯罪で服役後、ドイツ入りした。一時、警察の監視対象だったが、テロ計画の証拠は得られなかった。
寛容政策を掲げるドイツには昨年、約八十九万人が押し寄せた。西部ケルンでの女性への暴行、南部バイエルン州での列車やコンサート会場でのテロなど、相次いだ難民申請者による事件で、メルケル首相への批判は強まった。
今回の事件は、首相へのさらに大きな逆風となる。
反難民を掲げる新興政党「ドイツのための選択肢」は州議会選で躍進し、来年秋の総選挙でも議席をうかがう。
テロ予備軍への監視は必要だ。一方で、排斥がエスカレートすれば難民らは孤立する。
社会分断の溝は深まってテロの温床が広がる。それこそ、テロリストの狙いだろう。
難民イコール悪なのではない。事件の背景を解明し、テロへといざなう悪魔の声こそ、断たなければならない。
「自由で共存できる開かれた社会のため、力を尽くしたい」。メルケル首相は事件後も、寛容政策を続ける決意を表明した。
ISの性的奴隷にされていたイラクのヤジド教徒は、ドイツで保護された。ISの非道と女性や子どもたちの救済を訴え、欧州議会は人権への貢献を評価しサハロフ賞を贈った。
寛容政策に大義はある。

イチエフ 廃炉の現場から<読者から> ともに考え続けねば - 東京新聞(2016年12月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122702000148.html
http://megalodon.jp/2016-1227-0937-17/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122702000148.html

今回も貴重なご意見をお寄せいただき、心より感謝します。
それぞれ、福島第一原発の現状や廃炉の困難さ、費用の大きさをわが事と受け止めて、原発依存の未来を憂えておられるように感じます。
埼玉県熊谷市の自営業市原裕司さん(49)は「福島第一原発廃炉作業は、私にはガダルカナルの戦いの二重写しのように感じられます」と指摘します。
ガダルカナルとは、太平洋戦争の激戦地として知られる西太平洋ソロモン諸島の小島。一九四二年八月からちょうど半年間の争奪戦が、攻守の転換点になったといわれています。
日本軍は、まずガダルカナル島の戦いを局地戦だと見誤った。総合的見地に立った戦略のなさが馬脚を現した。そして、先の見えない消耗戦の底無し沼に引きずり込まれ、再起不能のダメージを受けた−。
「安倍首相が『アンダーコントロール』などと言って能天気に五輪を招致しているその裏で、破滅が刻一刻と近づいているような気がします」
私たちは今、転換点にいるようです。
名古屋市西区の環境システムコンサルタント浜田尚さん(90)は「事故で発生した汚染水(主にトリチウム汚染水)を海に流すことは大変な間違いです。絶対に許してはなりません」。
トリチウムは、三重水素とも呼ばれます。水素と同じように酸素と結合して水になっていますが、ベータ線という放射線を出して崩壊する放射性同位体です。
産廃処理施設の設計、施工に半世紀携わった経験を踏まえ、病床からの訴えです。
機械工学が専門という名古屋市緑区の会社顧問小林久夫さん(76)は「原子力関連施設ほど危険極まるものはないだろう。たとえ可能な限りの現代最高の大型コンピューターを駆使したところで、人間が望む理想のエネルギーが確保できるわけでもない」と疑問を投げかけます。
そして「この国は、原子力に頼ることはできない。平和事業のための新エネルギーの開発が使命である」と強調しています。
間もなく六回目の新年です。しかし、イチエフの廃炉には少なくとも四十年。まだ長い道のりです。私たちもともに考え続けなければなりません。福島とこの国の未来について。 (飯尾歩)

(東京エンタメ堂書店)谷野デスク 今年のイチ押し 「この世界の片隅に」 - 東京新聞(2016年12月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2016122702000188.html
http://megalodon.jp/2016-1227-0936-50/www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2016122702000188.html

君の名は。」や「真田丸」など、映画やドラマの当たり年だった2016年。漫画でもこの2カ月間で40万部を記録するヒット作が出ているのをご存じでしょうか。『この世界の片隅に』。映画化で再評価された名作を今年の締めくくりにお届けします。 (運動部総括デスク・谷野哲郎)

◆戦時下で続ける日常 広島、呉が舞台
ああ、こんな作品があったんだ。誰かに教えてあげたい。読了後、そんな気持ちになれる本です。こうの史代(ふみよ)さんの『この世界の片隅に』(双葉社、(上)(中)(下)各七〇〇円)は、戦時中の広島と呉を舞台に、大切なものを失いながら、懸命に生きていく主人公・すずを描いた物語です。
この作品は二〇〇七年から〇九年にかけて、漫画アクションで連載。大ヒットとまではいきませんでしたが、〇九年には文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。知る人ぞ知る名作と評価されていました。
ところが、同名のアニメ映画が今年十一月に公開されると、人気が沸騰。発売元の双葉社は「それまでの発行部数が五十万部。それがこの二カ月で版を重ね四十万部ですから…。年明けには累計百万部を突破するのでは」と驚いていました。
主人公のすずは絵を描くのが好きな十八歳。一九四四(昭和十九)年、急に決まった縁談で呉に住む海軍文官・周作のもとに嫁ぎます。つつましくも楽しい新婚生活は次第に戦争一色に。不足する食料、呉を何度も襲う空襲。すずはいくつもの悲しみの中、八月六日を迎えるのです。
この作品の魅力は、当時の人々の暮らしぶりを丁寧に描いていること。節約のため、梅干しの種をいわしと煮て調味料にするなんて、初めて知りました。もう一つの魅力は、すずの天真らんまんな人柄。戦時下でもユーモラスに、たくましく生きていく彼女の姿に心が揺さぶられました。最終回「しあはせの手紙」は涙なくしては読めません。
筆者がこうのさんを知ったのは、本紙整理部・野村修平デスク(48)から薦められた一冊の漫画からでした。『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』(双葉社、八六四円)。帰りの電車の中で読み、涙が止まらなくなりました。
「夕凪の街」は原爆投下から十年後の広島が舞台。主人公の皆実(みなみ)は働きながら、母親と二人暮らしをしています。職場の打越さんから好意を寄せられますが、素直に応じることができません。「桜の国」は皆実の弟・旭のその後と家族を描いた物語です。
広島出身のこうのさんは六八年生まれ。『この世界の片隅に』のあとがきでは『この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。そこにだって幾つも転がっていたはずの「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました』と記しています。彼女が伝える市井の人々の戦争は「生きる」と力を込めなくても、ただ「生きている」ことが大切だと教えてくれてました。
今回は「箱根駅伝」に関する小説を紹介するつもりでいましたが、同じく整理部の鈴木薫デスク(48)からも絶賛され、予定を変更しました。本紙でもファンが少なくない『この世界の片隅に』。本年のナンバーワン作品として自信を持ってお薦めします。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

(余録)「子供はここから地上に生まれて… - 毎日新聞(2016年12月27日)

http://mainichi.jp/articles/20161227/ddm/001/070/077000c
http://megalodon.jp/2016-1227-0936-16/mainichi.jp/articles/20161227/ddm/001/070/077000c

「子供はここから地上に生まれてゆくのですよ。おとうさんやおかあさんが子供が欲しいと思うと、あの扉が開いて子供たちは降りて行くのです」。チルチルとミチルが訪れた「未来の王国」である。
メーテルリンクの「青い鳥」の未来の王国では、これから生まれる子供たちがそれぞれ地上にもたらすものを用意しながら誕生の時を待っている。「生まれるっていいことなの?」。そこにいた一人の子供に尋ねられるとチルチルは答えた。「ああ、おもしろいよ」
だがいざ地上への船出となると、生まれたくないとだだをこねる子もいる。子供らを送り出す老人「時」がたしなめた。「もう時間だぞ。みんなは不正と戦う英雄を求めている。それがお前だ。出発しなけりゃいかんぞ」。子供が地上にもたらすものはさまざまである。
厚生労働省が発表した2016年の人口動態統計(じんこうどうたいとうけい)の推計によると、今年生まれの赤ちゃんの数は統計開始以来初めて100万人を下回る見通しという。出生数98万1000人は死亡数を31万人以上も下回る。人口の自然減は過去最大となり、加速しているというのだ。
1970年代前半の出生数は200万人を超えていたから、40年余で半分になったことになる。「すべての赤ちゃんは神が人間に絶望していないというメッセージを携えて生まれてくる」とはインドの詩人の言葉だが、そんな神様からの伝言も半減してしまったのか。
チルチルとミチルには未来の王国の船を歓迎する地上のおかあさんたちの喜びと希望の歌声が聞こえた。赤ちゃんたちを迎え入れる地上の喜びと希望は、この世に生きる者が立て直すしかない。

(余録)夏目漱石が宮城県の名勝… - 毎日新聞(2016年12月26日)

http://mainichi.jp/articles/20161226/ddm/001/070/092000c
http://megalodon.jp/2016-1227-0935-36/mainichi.jp/articles/20161226/ddm/001/070/092000c

夏目漱石宮城県の名勝、松島を訪ねたのは1894(明治27)年夏だった。瑞巌寺(ずいがんじ)では座禅で名僧から一喝(いっかつ)を受けようかと考えたが断念したと、友人の正岡子規(まさおかしき)あての手紙に記している。詩人、土井晩翠(どいばんすい)との交流もこの旅を機に始まった。
その漱石と東北はいま、仙台市にある東北大学付属図書館の「漱石文庫」を通じて結ばれている。蔵書約3000点や日記など多岐にわたる資料群だ。普段は貴重書庫に保管しているが、漱石の没後100年を記念し今秋、一部を展示した。
漱石文庫」を設けたのは一番弟子と呼ばれたドイツ文学者、小宮豊隆(こみやとよたか)だ。若き日の小宮は「漱石山房(さんぼう)」と呼ばれた師宅に出入りしており、自身が図書館長だった東北帝国大学で蔵書類を保存することを戦時下の1943(昭和18)年に決めた。その後山房は空襲で焼失したが、資料は被災を免れた。
仙台で開かれた展示会には約2600人が訪れ、漱石が晩翠あてに送った自画像つきのはがきなどに見入った。やはり弟子あての書簡などが残り、妻鏡子の出身地という縁がある広島県でも現在、記念展が開かれている。
来年は漱石の生誕150年にあたり、かつて山房があった東京・早稲田には「新宿区立漱石山房記念館」が9月にオープンする。館内ではかつての山房の様子が一部再現される予定で、東北大は書斎の蔵書部分の情報提供を通じて協力している。
新宿区は「坊っちゃん」の舞台である松山市や、漱石が旧制第五高等学校で教壇に立った熊本市などとも文化事業などで連携を進めている。漱石は没後1世紀を経て、地域の文化交流にもひと役買っている。

南スーダン 流血回避の努力こそ - 朝日新聞(2016年12月27日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12724364.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2016-1227-0934-50/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_shasetsu_01

日本政府の判断に、強い疑問を禁じえない。
南スーダンに武器禁輸などの制裁を科す、国連安全保障理事会の決議案が廃案になった。
決議案を主導した米国は、根深い民族対立が大量虐殺に発展することへの危機感から、武器流入の阻止を模索してきた。
これに対し、日本やロシア、中国など8カ国が棄権したことで廃案となった。
日本政府はなぜ、米国とたもとを分かってまで棄権に回ったのか。
背景には、現地の国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊の存在がある。
南スーダンは政府軍と反政府勢力が対立し、事実上の内戦状態にある。
そんななかで政府は先月、派遣部隊に「駆けつけ警護」の新任務を付与した。派遣部隊に協力してくれる現地政府に制裁を科せば、反発を買い、危険度がいっそう高まりかねないとの判断がある。
また、決議案に賛成すれば、日本政府が現地の危機的な状況を認めることになる。紛争当事者間の停戦合意など「PKO参加5原則」に改めて疑問が突きつけられ、自衛隊派遣の根拠が揺らぎかねない。
一方で、制裁の実効性には疑問の声もあった。
南スーダンの政府軍は石油収入で武器を輸入し、それが反政府勢力にも流れるなど、すでに全土に蔓延(まんえん)している。内陸国の同国は、周辺国からの流入を止めるのは難しい。そんな状況下で武器禁輸の制裁を科すことに、どれほどの効果があるのか。いまは南スーダン政府の和平への取り組みを優先すべきではないか。そんな疑問だ。
だとしても、少しずつでも現地への武器流入を減らし、武装解除を進めることが、長い目で見て南スーダンの「国づくり」を進め、国民に平和と安定をもたらすことにつながる。
そのために、今回の決議案はひとつの契機となりえた。それを後押しし、実効性を高めるよう努力することが、日本の役割だったのではないか。
日本政府は今回の棄権によって、陸自部隊の活動継続と安全確保を優先し、武器禁輸に後ろ向きであるかのようなメッセージを国内外に発信してしまった。極めて残念だ。
そんな意図はないと言うのなら、日本政府は武器禁輸に向けて動くべきだろう。
内戦状態が大規模な流血の惨事に発展するのを避ける外交努力こそ、日本を含む国際社会の責任である。