(余録)夏目漱石が宮城県の名勝… - 毎日新聞(2016年12月26日)

http://mainichi.jp/articles/20161226/ddm/001/070/092000c
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夏目漱石宮城県の名勝、松島を訪ねたのは1894(明治27)年夏だった。瑞巌寺(ずいがんじ)では座禅で名僧から一喝(いっかつ)を受けようかと考えたが断念したと、友人の正岡子規(まさおかしき)あての手紙に記している。詩人、土井晩翠(どいばんすい)との交流もこの旅を機に始まった。
その漱石と東北はいま、仙台市にある東北大学付属図書館の「漱石文庫」を通じて結ばれている。蔵書約3000点や日記など多岐にわたる資料群だ。普段は貴重書庫に保管しているが、漱石の没後100年を記念し今秋、一部を展示した。
漱石文庫」を設けたのは一番弟子と呼ばれたドイツ文学者、小宮豊隆(こみやとよたか)だ。若き日の小宮は「漱石山房(さんぼう)」と呼ばれた師宅に出入りしており、自身が図書館長だった東北帝国大学で蔵書類を保存することを戦時下の1943(昭和18)年に決めた。その後山房は空襲で焼失したが、資料は被災を免れた。
仙台で開かれた展示会には約2600人が訪れ、漱石が晩翠あてに送った自画像つきのはがきなどに見入った。やはり弟子あての書簡などが残り、妻鏡子の出身地という縁がある広島県でも現在、記念展が開かれている。
来年は漱石の生誕150年にあたり、かつて山房があった東京・早稲田には「新宿区立漱石山房記念館」が9月にオープンする。館内ではかつての山房の様子が一部再現される予定で、東北大は書斎の蔵書部分の情報提供を通じて協力している。
新宿区は「坊っちゃん」の舞台である松山市や、漱石が旧制第五高等学校で教壇に立った熊本市などとも文化事業などで連携を進めている。漱石は没後1世紀を経て、地域の文化交流にもひと役買っている。