<ぎろんの森>「山県有朋」への違和感 - 東京新聞(2022年10月8日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/207135

臨時国会が三日に始まり、岸田文雄首相の所信表明演説と、各党の代表質問が行われました。最大の政治課題は、私たちの暮らしを直撃している円安・物価高対策ですが、故安倍晋三元首相の国葬や旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題を巡り、野党の追及が続いています。

岸田首相は、国葬について「政府として検証する。首相経験者の国葬実施は、国会との関係など、どのような手順を経るべきか、一定のルールを設けることを目指す」と答弁しました。

閣議決定のみによる実施形式が国民の批判を招き、適切ではなかったと認めたことになります。政治家の公的葬儀はどうあるべきか。東京新聞は読者の皆さんとともに考え続けたいと思います。

安倍氏国葬では、菅義偉前首相が友人代表として読み上げた弔辞に耳目が集まっています。読者の皆さんはどう受け止めましたか。本紙に届いた声は、弔辞への賛否が分かれているようです。

当論説室が注目したのが、菅氏が弔辞の結びで二度繰り返した歌です。明治の元勲、山県有朋が、暗殺された伊藤博文を悼んで詠んだものです。


《かたりあひて 尽(つく)しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ》


第二次安倍内閣以降の八年近く、官房長官として支えた安倍氏を失った喪失感を、盟友の伊藤を暗殺で突然失った山県に重ねたのでしょう。

国葬の是非とは別に、先立った友人を悼む心情は分からなくはありません。しかし、山県の政治姿勢には、違和感を覚えることも事実です。

憲法を起草し、政党内閣を目指した伊藤に対し、山県は政党内閣を拒絶し、政党から独立した「超然主義」の立場でした。明治初期、藩閥政治に対抗して、国民の自由と権利、国会開設を要求した自由民権運動も弾圧します。

本紙を発行する中日新聞社の前身である二つの新聞はそれぞれ、自由民権と議会中心主義を掲げて言論活動を展開しましたから、私たちが今、山県に違和感を抱くのは当然かもしれません。 (と)