<南風>親の仕事 - 琉球新報(2022年7月26日)

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上の息子が今年18歳になる。成人なのだそうだ。初めての子育てを教えてくれた、いわば同志のような存在である。彼と成人することについて話し「親の役割って、決して18年じゃないよね。いくつくらいまで親は必要だと思う?」と問い掛けてみると、「二十歳までじゃ全然足りない。30歳も短いかな、40歳になる頃なら、いろんな意味で見送れると思うよ」との返答だった。

私の専攻している交流分析の始祖エリック・バーンが「親は子が19歳になるまで死んではならない。子は親より先に逝(い)ってはならない」という言葉を残している。全ての人が果たせる約束ではないが、親になる決心とともに肝に銘じた言葉でもある。実際わが家では、その倍以上が求められているようだが、後期高齢期を迎えてなお、与え続けてくれる両親を思うと親は生きている限り親なのだ、親でいようと実感する。

下の息子に生きる意味を問われたことがある。中二病特有の悲観的無意味論だった。運転中だった私は車を止め、振り返り、彼の顔を見て話すことにした。届いても届かなくても、私は彼を取り逃さず、伝える必要があると思った。

「私にとっては、あなたが生きているだけで十分丸もうけ。あとのことはおまけ。長い人生、楽しくて面白いといいな、誰かを愛せたらいいな、と思う。人生って、何もやらずに過ごすには長すぎるでしょ? だから、やりたいことを追い掛ける人生を生きてほしいだけ」

息子は黙って聞いていたが、少なからず届いた手応えはあった。一生を懸けて手に入れたいものを見つけて追い掛け、心と身体を存分に使ってほしい。そのための許可や保護や能力の保証が親または親的存在の仕事であろう。これを全ての若人に手にしてほしい。さて何ができるだろう?
(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)