【政界地獄耳】公開文書が明かす外務省のご都合 - 日刊スポーツ(2021年12月24日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202112240000027.html

★22日、外務省は1990年ごろの外交文書ファイル計18冊を公開した。91年の湾岸戦争前後の外交交渉の記録が明らかになった。イラククウェート侵攻に端を発した湾岸危機を受けた90年9月29日、米ニューヨークで行われた日米首脳会談で当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領(いわゆるパパブッシュ)が自衛隊の派兵を強く求めていたことは当時から言われていたが、今回の外交文書で明らかになった。

★当時の首相・海部俊樹ハト派で国連平和協力法制定による「人的貢献」を「非戦闘・非軍事の範囲内でのあらゆる協力」と意欲を見せたが、訪米前の野党党首会談で社会党公明党の強い反対や自民党ハト派、世論の反対などもあって実現しなかった。思えば当時の自民党幹事長は小沢一郎。海部の慎重論に対して小沢は派遣積極派とみられていた。結局130億ドルの拠出で落ち着いた。

★当時は世論、マスコミ、与野党に戦中派の論客が多数いたこともあり、今の自公政権のような強引なまとめ方はなかったが、この文書を見て不思議に思うのは外務省の立ち位置だ。省内は派兵派のいわゆるオンザブーツ派とアジア諸国の理解が得られないという穏健派が拮抗(きっこう)していたかもしれない。米国の「軍隊派遣」要求は機密扱いになったが。当時同省北米1課は「自衛隊の派遣をわが方に要請したとの事実はない」と声明を出し完全否定だった。そこで思い出されるのが10年4月19日、民主党政権時の、防衛、外務の官僚が首相・鳩山由紀夫を訪ねて「アメリカ大使館と交渉」して米軍基地の沖縄県外への移設は無理と報告。県外移設断念が決まったが、これもでっち上げだった。外務省の都合とは何か。(K)※敬称略