【政界地獄耳】新生立憲民主党は山本孝史の仕事を学べ - 日刊スポーツ(2021年12月22日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202112220000069.html

★あまりにも低調だった臨時国会。新生立憲民主党は相変わらず精彩を欠いた。そこで問いたい。山本孝史の振る舞いや仕事を知っているのか。93年7月、山本は日本新党で初当選。同党同期には前立憲代表・枝野幸男衆院副議長・海江田万里自民党幹事長・茂木敏充、同選対委員長・遠藤利明がいる。それまで山本は財団法人交通遺児育英会事務局長を務めていたが、それは兄が5歳の時、交通事故で他界したからだ。

★山本はカネのかからない選挙を実践、選挙中も毎日、使った金額を公表していた。衆院を2期務め、01年民主党参院大阪に転じ当選。厚生委員会に所属、年金制度や医療制度改革介護保険の創設、社会保障制度など、国民に寄り添う政策の第一人者だった。03年、民主党新緑風会幹事長、05年9月に参院財金委員長に就任。ところが12月の検診で進行性の胸腺がんが見つかる。翌年に財金委員長を辞任した。

★山本は「日本のがん医療を変える」と日本初のがん対策の法案づくりに没頭。がん医療の地域格差や治療してくれる医療機関を求めてさまよう「がん難民」の解消を目的に情報の共有を図る法案だ。06年5月、参院本会議の代表質問に立った山本は「私はがん患者として質問に立たせてもらっている」と公表、与野党に法案成立の協力を求めた。そしてがん対策基本法成立。その後は「自殺対策基本法」にとりくみ、山本はがん告知から2年後の07年12月22日に力尽きた。病室のベッドにはブログ用にネットにつながったパソコンと法案を作成していたパソコンが2台置かれていた。野党は提案も政権批判も仕事だ。そして何より清廉な仕事と態度を国民に見せることではないか。山本の没後、民主党政権が生まれたが、厚労相が山本ならと毎回夢想してしまう。自民党の元厚労相尾辻秀久の追悼演説の再生回数は180万回を超えている。(K)※敬称略

 


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