(松尾貴史のちょっと違和感) 森会長女性蔑視発言 矮小化する人たちの感覚とは - 毎日新聞(2021年2月14日)

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先般の、森喜朗東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長の発した「女性の理事を増やしたくない」「発言時間を規制したい」旨の失言、というよりも「テレビがあるからやりにくいが」などと述べてから発しているので、確信的な差別発言なのだが、この件が収束するどころか、本人とその周辺が火に油を「効率よく」注いで収拾がつかなくなっているようだ。この欄をお読みいただく頃には辞めているであろうという希望的観測があるが(2月9日に執筆)、はたしてどうなっているだろう。

しかし、オリンピックの基本精神すら理解していない、そしてそれとは相いれない考えを持っている人物が組織のトップであることを自ら浮かび上がらせた。ある世論調査ではこの発言が「問題である」と、91%の人が思っているという結果が出て、この数字を裏返すとこの人物が首相だったときの終盤の内閣支持率に近いことでため息が出るが、そのまわりには、慰留したり擁護したりする人が続出している。

世耕弘成参院議員など「余人をもって代えがたい」というまるで的の外れた表現でかばっている。これを滑稽(こっけい)と言わずしてなんと言おうか。二階俊博自民党幹事長は「撤回したからそれでいいではないか」と擁護、森氏の発言が元でボランティアに登録していた人々が何百人も参加を辞退するという騒ぎについては「そんなことですぐ辞めると瞬間には言っても、協力して立派に仕上げましょうとなるのではないか」と事を矮小(わいしょう)化しようとしている。「周囲の期待に応えて頑張ってほしい」とも言っていた。期待する「周囲」が、国民ではないことははっきりしているが、ものすごく狭い距離の「周囲」にだけ期待される組織委員会会長の存在は、世界的祭典の足を引っ張るだけではないか。

菅義偉首相は、森氏の進退について問われ、政府から独立した組織である事を理由に無関係を装っている。都合よく「その立場にない」ぶりを発揮するが、日本学術会議の任命拒否問題ではあれほど疑義を持たれていたのに、人事に介入しているではないか。そして、菅氏は組織委の顧問会議議長でもあるから、この逃げ口上にまったく説得力がない。そもそも森氏を会長にすべく働きかけたのは安倍晋三前首相だった。ましてや、その責任を痛感しなければならない安倍氏を後任に推そうという声すらあることにはあきれてものが言えない。言っているが。

病気を理由に首相を退任されているのだから、そっとしておいてあげたほうがいいとも思うが、この国はそれほどの人材難なのだろうか。

さらには、中西宏明経団連会長が森氏の発言を「日本社会にはそういう本音のところが正直言ってあるような気もするし、わっと取り上げるSNSは恐ろしい」と語っている。逆に恐ろしいのは、差別や偏見を正当化、矮小化するその感覚ではないか。

アメリカのメディアに、沈没したタイタニック号になぞらえて「沈みゆく船の船長」とたとえられた森氏だが、女性蔑視発言についてはフランスの新聞が「性差別の高速道路を時速320キロの速度違反で疾走した」と伝えた。また、森氏が今夏の五輪開催について「新型コロナウイルスがどういう形だろうと必ずやる」と発言したことに、同じくフランスの通信社は「五輪を中止したい日本国民に平手打ち」とも書いている。オーストラリアのニュースサイトは「組織委が東京に巨大な中指を立てている」と、強烈な表現で批判している。

居酒屋のばか話ならまだ慣れた部分はあるけれど、公的な重職に就き大きな影響力を持つ人物の発言としては、撤回などでは到底すまされない。「日本すごい」的テレビ番組で慰め合っているうちに、国際的な評価がどんどん下がっている気がして暗たんたる思いだ。(放送タレント、イラストも