(余録) その朝、「私」は母と弟を… - 毎日新聞(2020年8月6日)

https://mainichi.jp/articles/20200806/ddm/001/070/098000c

その朝、「私」は母と弟を勤労奉仕や学校へ送り出し、職場に向かった。


「小学校の正門の前を通り抜けると
小さな女の子が指切りをしながら
歩いていた
少し行くと
いつも出会う鉄道隊の隊列と出会った」


「カンナが真紅にもえ
ひまわりが太陽にむいて咲き盛り
ネコがのんびりとあくびして
乳のみ子を背負った女が
忙しそうにすれ違っていった
そして八時十五分
人の街は
瓦礫(がれき)と壊れた人間の
重なり転がる炎の街となった」
(吉岡満子「原爆の日」から)


作者が母と弟を失ったその日から75年。ヒロシマナガサキの地獄絵図は、その間の核大国の指導者にとって自らの錯誤がどんな結果を招くかを示す未来予想図となる。核は「使えぬ兵器」となった。
だが今や核大国の軍拡競争は、爆発力を抑えた「使える核」の開発や配備をめぐるつばぜり合いとなっているという。米国が低出力核弾頭の潜水艦配備を表明すれば、ロシアは核の先制使用を認める指針を出して、同様の開発を進める。
中距離核を多数配備する中国のミサイル誘導技術も高度化し、北朝鮮のような独裁国への核拡散も止まらない。過去の「核抑止」の論理や枠組みが技術の進展によって突き崩され、核使用の敷居がどんどん低くなっていく今日である。
核爆発が生身の人間にもたらす唯一無二(ゆいいつむに)の「現実」を知ったヒロシマナガサキ被爆者だった。その核廃絶の願いの世代と国を超えた広がりが、いつにもまして切実に求められる2020年の夏である。