(余録)「隣の子 おらがうちでも鰯だよ… - 毎日新聞(2020年7月9日)

https://mainichi.jp/articles/20200709/ddm/001/070/136000c

「隣の子 おらがうちでも鰯(いわし)だよ」。安普請(やすぶしん)の薄い壁の江戸の長屋暮らしはプライバシーとは無縁、隣のおかずも分かった。だから「椀(わん)と箸(はし)持って来やれと壁をぶち」と隣の子に飯を食べさせることもあった。
当時の庶民の暮らしの開けっぴろげなことは、幕末に来日した欧米人を驚かせた。「日本人の家庭生活はほとんどいつでも戸を開け広げたままで展開される」。夫婦げんかも一家だんらんも、みな近所の耳目から隠すことはなかった。
むろんそんな暮らしがいいとは思わない。日本人が欧米に倣い、厚い壁で互いの生活を隔てる文明を選んだのは成り行きだろう。だがその壁の中で幼い子が人知れず飢えで命を失う現実を見れば、長屋の薄壁の効用も見直したくなる。
東京のマンションの一室に8日間も放置され、衰弱死した3歳の女児、梯稀華(かけはし・のあ)ちゃんだ。逮捕された24歳の母は交際相手に会いに鹿児島県へ行っていたという。稀華ちゃんがその命の終わりに過ごした時間を思えば、胸がつぶれる。
むごい育児放棄(ネグレクト)の背景に、いったい何があったのか。誰の目も届かぬ壁の中で孤立した母子の関係、そこに生まれた母親の心の闇へと立ち入って、真相を見極めねばなるまい。同じような悲劇はまた起こりうるからだ。
稀華ちゃんは過去にも数日にわたり放置されたことがあったという。なのに事件を防げなかったのも、あらためて悔やまれる。こちらに食べに来いと扉をたたく音を、ついに稀華ちゃんは耳にできなかった。