キーンさん逝く 「日本とは」問い続け - 東京新聞(2019年2月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019022602000151.html
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二十四日に九十六歳で亡くなったドナルド・キーンさん。日本文学研究者と呼ばれたが、文学を通じて「日本とは何か、日本人とはどういう人々か」と、より深い問いを考え続けた生涯だった。
徒然草」や「おくの細道」など古典から、谷崎潤一郎川端康成など同時代の作家まで、多くの作品を英訳したキーンさん。
伝統的な日記文学が題材の「百代の過客」をはじめ、日本人の精神のありかたを探る研究書や評伝も数多く手がけた。母校の米コロンビア大で教授として後進たちも多く育て、日本の文学と文化を世界へと伝えた「恩人」だ。
だがその道筋には、偏見との戦いがあった。欧米では明治以降、鹿鳴館で日本人が洋装して踊る姿などが伝えられ「猿まねの国」と侮蔑が広がった。第二次世界大戦で対日感情は悪化し、若き日のキーンさんは「そんな国に文学や文化があるのか」と言われた。
逆に日本では「外国人に日本の文化が分かるのか」と疑問視もされた。十八歳の時に英訳で読み、日本文学との出会いとなった「源氏物語」の専門家から「原文で読まなければ良さは理解できない」と言われたことさえある。
そうした声と戦い続けた。伝統文化をより深く知るために狂言を習って自ら舞台に立ち、補助金のカットで存亡の機に直面した文楽を擁護した。国内では近年「日本すごい」と持ち上げるブームが盛んだ。それとは裏腹に、伝統文化の真価を私たち自身が知らない、あるいは知ろうとしていないのではと反省させられる、鏡のような存在だったといえよう。
戦勝国の出身ながら敗戦国を見下さず、その人々と文化に敬意を払った。かつて本紙のインタビューで「文化の大切な要素」として「隣の国、あるいは遠い国からものを借りること、そしてそれを自分なりに自分のものとすること」と述べている。考え方の違う国や人々の間に有形無形の「壁」をつくろうとする言動が力を増す中、壁を越えた人の結びつきを願い、信じる精神の表れだった。
生涯を通じてこの国を愛した。東日本大震災の後には日本の国籍を取って、私たちを励ました。一人の日本人「鬼怒鳴門」(キーン・ドナルド)となると、本紙での連載などを通じて、改憲原発の再稼働、東京五輪の開催に強く反対した。
「日本の恩人」がこの国の行く末を危ぶんで残した言葉を、今こそかみしめたい。