(筆洗) 映画「パラサイト 半地下の家族」 - 東京新聞(2020年2月11日)

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「貧乏てえことにかけちゃ、そんじょそこらの人さまにぜったいにひけをとらねえ」。妙な自慢をしているのは、昭和の名人、古今亭志ん生である。
それでも、「お金持ちをうらやんだこともないかわりに、貧乏をはずかしいと思ったこともさらさらねえ。今でも貧乏時代の味がなつかしい」(『なめくじ艦隊』)
みなが豊かではない時代。格差がない分、貧乏でもさほどの引け目を感じなくてすんだか。思いだすのはエノケンの<狭いながらも楽しいわが家>(「私の青空」)か。まだ、明日を信じられる貧しさだったのかもしれぬ。
描いているのは、それとは異質の貧しさである。米アカデミー賞作品賞に輝いた韓国映画「パラサイト 半地下の家族」である。
他人のWi-Fiを利用しようとスマホを天井高く掲げる。偽の学歴を間違えぬよう歌にして覚える。笑いもある貧しき家族の悪戦苦闘は物語が進むにつれ、深刻の色を強めていく。日本映画なら人情噺(ばなし)になったかもしれぬ。そうはならぬ展開がありきたりではなく、今の時代においてリアルで共感を得やすい作品となったか。
同作ほか「ジョーカー」「アイリッシュマン」「マリッジ・ストーリー」など人間の暗部から目をそらさぬ作品が目立った今年のアカデミーである。映画は時代や社会を映す鏡という。だとすれば、あまり美しい時代は映っていないのだが。