(筆洗)審査や発言を検証するドキュメンタリーを見たいものだ - 東京新聞(2017年9月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017091402000135.html
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映画監督のアルフレド・ヒチコックがドキュメンタリー映画についてこんなことを言っている。「劇映画では監督は神である。ドキュメンタリー映画では神は監督である」
「神」を「事実」「現実」に言い換えた方が分かりやすいか。あるがままの事実、現実。それがドキュメンタリー映画を支配する神であり生命という。
「ドキュメンタリーという傘の下なら、私たちは何でもできるライセンスを持っている」。こちらは、「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」(二〇〇三年)でアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した、エロール・モリス監督である。
両監督とは異なる、奇妙なドキュメンタリー論を聞いた。「政府批判は避けること」。昨年度の芸術祭賞の審査の過程で、文化庁職員が国連平和維持活動を検証したドキュメンタリー番組(NHK)に対し「国を批判するような番組を賞に選ぶのはいかがなものか」との趣旨の発言をした。
あるがままの現実とも「何でもできる」ともほど遠い。政府批判を許さないとすれば、問題を提起し、現実に疑問を投げ掛けるドキュメンタリーは一本も撮れまい。文化や芸術の名も泣く発言で、審査員から抗議の声が上がったのが唯一の救いであろう。
審査や発言を検証するドキュメンタリーを見たいものだ。芸術祭での受賞は難しいかもしれないが。