拓論’20 民主政治の再構築 あきらめない心が必要だ - 毎日新聞(2020年1月1日)

https://mainichi.jp/articles/20200101/ddm/003/070/018000c
http://archive.today/2020.01.01-004258/https://mainichi.jp/articles/20200101/ddm/003/070/018000c

2020年が始まった。
先の大戦から75年、冷戦終結から30年が過ぎた今、民主政治のほころびが目立っている。
我々に安心感を与えてきた人権保障、権力分立、法の支配などの基本原理が危うさを増している。
深刻なのは、民主政治の起源でもある欧米の多くの国々で、ポピュリズムが大手を振っていることだ。
共通しているのは、敵か、それとも味方かの二分法で分断を深める政治手法だ。選挙で多数を得た力は、本来、異論との間で接点を探るために使われるべきである。しかし、実際は多数派の論理で異論を排除する光景が日常化している。
トランプ米大統領に対する弾劾訴追劇は世界を暗たんとさせた。
トランプ氏の支持者と共和党は、米国史上3度目の弾劾訴追という事態を重く受け止めようとしない。先達が腐心した権力のチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)は機能せず、民主国家としての信頼を大きく損ねた。 ポピュリズムのうねり
冷戦が終わり、社会主義国が次々と消えた。市場経済が広がり、自由と平和、民主主義が息づく世界の将来像が共有された。
民主政治の下で市場経済は発展し、増える中産階級が政治的な発言を求め、民主政治は揺るぎないものとなる。好循環の中で、二つはセットで発展する。
定説とさえ思われたこうした「セット」論はもはや怪しくなった。
きっかけは08年のリーマン・ショックだ。国際的に低成長になる中、グローバル化の進展で先進諸国の中産階級が没落すると、民主政治が脅かされる状況が目の前に表れた。
没落する先進国の中産階級の不満をあおることで、ポピュリスト政治家は上昇気流をつかむ。社会の変化が大きいほど支持を集めやすい。
一方で、問題は誰かのせいにされがちだ。真犯人を国外に求めたがる。トランプ現象も英国の欧州連合(EU)離脱もそうした表れだ。
その中で、温暖化や海洋汚染などの地球の生態系に関する問題や、核軍拡競争の懸念が深刻の度合いを増している。
国家単位で答えを出すことが困難な問題がうねりを増す中で、ポピュリスト政治家は国際秩序に大きな価値を認めない。地球の持続可能性レベルの危機さえ招来している。
日本が果たすべき役割を、改めて考えるときだろう。
12年に自民党総裁に返り咲いた安倍晋三首相は国政選挙で6連勝中だが、野党の異論に耳を傾けないどころか、敵視する姿勢さえ際立つ。それで強固な支持基盤を獲得する手法は、ポピュリズムの潮流に沿う。
ただ、選挙の勝利は強固な支持層より「代わりがいない」という消極的選択に支えられている側面が強い。日本の民主政治は欧米に比較すれば、まだ安定しているようにも映るが、政策を実行に移す段になると、多方面に配慮せざるを得ないというのが実相だろう。このため、目立った成果はあげられていない。

「20世紀初頭に近い」

昨年暮れに来日した、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は今の世界の状況を「20世紀初頭に近い」と形容した。民主政治の不安定化を受けた指摘だ。
民主主義は、政策決定に時間がかかり、最終的に合意されたものもあいまいさが常に残る。それよりは、中国のように、基本的人権は抑圧されても、権威主義的な政治体制の方が市場経済との相性がよく効率性が高いとの考えも強まる。
しかし、日本は民主政治のモデルを教科書のように目指すべき方向として追い求めてきた。その歴史は、曲折はあったものの、明治維新以降150年を超える。
今ここで、大事にしてきた価値観を否定する必要はない。
たとえ、市場経済との二人三脚が崩れたとしても、民主政治の旗を掲げることは重要だ。日本は大国ではないが、世界の中で重要なアクター(行為者)ではある。民主政治の旗を掲げ続けることによってこそ、米国に世界秩序への関与を働きかけることができる。
東京大の宇野重規(しげき)教授(政治哲学)は「民主主義というものは忍耐心がいるものなのに、決定能力の低さに世界が疲れ、価値観が揺らぎ始めている。民主主義は非常に危機的になっている」と話す。

あきらめる心にあらがいたい。