年のはじめに考える 誰も置き去りにしない - 東京新聞(2020年1月1日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020010102000113.html
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二〇二〇年。目線を少し上げれば二〇二〇年代の幕開けです。
この十年を区切る年明けに見すえたいのは、一世代が巡る十年先の世の中です。より豊かな未来を次世代に渡すために、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。
その手がかりにと、思い起こす場面があります。
秋のニューヨークで、国連に集う大人たちに時の少女が物申す。つい最近も見かけたようなシーンが四年前にもありました。
暗がりの傍聴席に照らし出されたのはマララ・ユスフザイさん。当時十八歳。同席した各国の若者たちを代表して、階下の首脳たちに語りかけたのです。

◆次世代と約束のゴール
「世界のリーダーの皆さん、世界中の全ての子どもたちに世界の平和と繁栄を約束してください」
一五年九月。国連サミットの一幕でした。この会議で採択したのが「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など十七分野にわたり、世界と地球を永続させるべく取り決めた開発目標(SDGs)です。その達成期限があと十年先の三〇年。マララさんたち次世代と世界が交わした約束のゴールでした。
合言葉が二つあります。
SDGs独自の取り組みで、一つ目は「誰一人も置き去りにしない」ということです。
置き去りにされなければ、次世代の誰もが平等に、尊厳と希望を持って生きられる。そういう社会が次々に循環する。持続可能な希望の未来は、私たちが目指すべき約束のゴールでもあります。
ただ一方で自覚すべきは、SDGsの起点ともなった過酷な現実です。いまだ数十億の人々が貧困にあえぎ、いや増す富や権力の不均衡。採択後四年たつ今もやまぬ紛争、テロ、人道危機…。

◆賑わう子ども食堂に光
これほど険しい現実を期限内に克服するには、もはや先進国も途上国もない。二つ目の合言葉は「地球規模の協力態勢」です。
全ての国の人々がそれぞれ可能な分野で協力し、複数の課題を統合的に解決していくしかない。アジェンダはそう促します。
いわば総力戦の協力態勢なればこそ、社会の隅々から置き去りの人を見逃さず、救出もできるということでしょう。
そんな世界の流れに棹(さお)さして、私たちの日本も進みます。
この年末にふと甦(よみがえ)った光景はリーマン・ショック後の〇八年。東京都内の公園で困窮者の寝食を助けた「年越し派遣村」でした。
「役所は閉まっている。周辺の(派遣切りなどで)路頭に迷う人が誰一人排除されぬよう、われわれで協力し合って年末年始を生き抜くぞ」
開村式で村長の社会活動家、湯浅誠さんが張り上げた一声です。この定見。今にしてみれば湯浅さんは、SDGsの置き去りにしない協力態勢を、はるか以前に先取りしていたのかもしれません。
あれから十年余の昨年暮れ。都内の会合に湯浅さんの姿がありました。今度は民間協力で運営する全国の子ども食堂の支援です。
NPO法人「むすびえ」の設立一年祭で、湯浅理事長が力説したのも、子ども食堂の支援を通じて「誰一人置き去りにしない社会をつくる」ことでした。
子ども食堂はいま全国に三千七百余。この三年で十二倍の急増です。確かに子どもの貧困は深刻だが、食堂が子どもに食事を出すだけの場なら、逆に気兼ねする子も多く、この急増はあり得ない。湯浅さんの見立てです。
貧しさに関係なく、例えば子連れの親たちが子育ての手を休めにやって来る。一人暮らしのお年寄りが自作の料理を持ち寄る。
誰も置き去りにされない。多世代が頼り合う地域交流の場として必要とされ始めた。だから急増しているのだ、と。国連にも呼応し食堂を応援する民間企業、団体の動きも勢いづいています。
派遣村以後の貧困から格差も極まった日本で、子ども食堂の賑(にぎ)わいは、SDGs社会に差す希望の光といってもいいでしょう。
あとはこの賑わいを他分野にもどう広げていくかです。でも民間だけではやはり限界がある。巨大な政策システムを回す政治の原動力が、総力戦には不可欠です。

◆政治が無関心であれば
もしも政治が、格差社会の断層に、弱い人々を置き去りにしたままで、次世代の未来にも無関心でいるならば、変えればいい。まだ十年あります。主権者一人一人が望んで動けば、変えられます。
マララさんたちとの約束のゴールに向け、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。「歴史的意義」をうたうアジェンダの一節です。

<われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない>