冷戦終結から30年 相互信頼が共存へ導く - 東京新聞(2019年12月2日)

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米ソ両首脳が冷戦の終結を宣言して三日で三十年。大国間の対立が激化する今、敵意を克服して信頼関係を築いたあの頃の努力が、再び求められている。
一九八九年に地中海のマルタ島で、ブッシュ(父)米大統領と共に冷戦終結を宣言したゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任した八五年当時、米ソ関係は険悪だった。

◆「悪の帝国」を自ら否定
七九年末のソ連によるアフガニスタン侵攻で東西両陣営のデタント(緊張緩和)は終幕。日米などの西側諸国はアフガン侵攻に抗議して八〇年のモスクワ五輪をボイコットし、東側陣営もその報復として八四年のロサンゼルス五輪をボイコットした。
当時のレーガン米大統領ソ連を「悪の帝国」と呼び、「スターウォーズ計画」と呼ばれた戦略防衛構想(SDI)をぶち上げて対抗した。核戦争の懸念が高まり西側では反核運動が広がった。
そんな緊張下、ゴルバチョフレーガン両首脳が初めて顔を合わせたのが八五年。晩秋のスイス・ジュネーブでだった。「ゴルバチョフ回想録(邦訳)」によると、両氏は人権問題や地域紛争、SDIをめぐる論争で「カッと熱く」なった。
だが、ゴルバチョフ氏は「レーガン氏とは一緒に仕事ができる」と感じた。出し抜けにレーガン氏がゴルバチョフ氏を米国に招待したいと言いだした。これにゴルバチョフ氏もレーガン氏のソ連招請で応じ、両首脳の相互訪問で合意した。
八七年にゴルバチョフ氏をホワイトハウスに迎えたレーガン氏は「われわれ二人はウマが合う」と語り、翌八八年に訪ソした際には、報道陣から「まだソ連を悪の帝国と見なしているのか」と聞かれ、「ノー」と否定した。

◆米国見据え中ロが連携
両首脳間の雪解けの裏には、「新思考外交」を掲げたゴルバチョフ政権によって始まった米ソのさまざまな軍備管理交渉があった。核戦争の脅威を共に認識し合い、信頼関係を築き上げることが、破局的な対立を回避できる道だった。
信頼醸成の努力は中距離核戦力(INF)廃棄条約や欧州通常戦力(CFE)条約、第一次戦略兵器削減条約(START1)といった画期的な軍縮条約に結実。冷戦終結にも行き着いた。
それから三十年。米ロ関係は冷戦終結後では最悪の状態にある。信頼が信頼を生んで冷戦終結に至ったのとは正反対に相互不信の悪循環に陥っている。
あおりでINF条約はこの八月に失効した。START1の後継条約である新STARTは二〇二一年に期限切れを迎える。期限延長のめどは立たず、これも失効すれば米ロ間の核軍縮の枠組みはなくなる。
トランプ政権は「使い勝手のよい小型核兵器」の開発を打ち出し、対するロシアも新型の多弾頭大陸間弾道ミサイルICBM)などの新兵器開発に力を注ぐ。米ロは軍拡競争に走りだしている。
安全保障を核の抑止力に頼るのは危険だ。ミスによる核使用や核を用いたテロを防げない。核保有が増えれば、拡散の危険も高まる。全世界の核兵器の約九割を占める米ロは核軍縮を進める責任がある。
一方、米国と中国の覇権争いは「新冷戦」とまで呼ばれる。冷戦時代のようなイデオロギーの対立とは違うが、通商問題からハイテク分野まで戦線は広い。
米中貿易戦争は世界経済に暗い影を落としている。米国は中国のハイテク企業締め出しに同調するよう同盟国に求める。これはIT産業の国際市場を分断しかねない。
冷戦終結後、米国主導の国際秩序に中国とロシアを取り込むため、米国は両国の改革路線を後押しする関与政策をとった。現在の米政界には、関与政策は失敗したという失望感とともに中ロへの警戒感が充満する。
対する中ロは七月、爆撃機四機による初の共同パトロール日本海東シナ海上空で実施した。九月にはロシア南西部で大規模な軍事演習を行った。対米関係改善の兆しが見えない中で、両国は連携を強めている。

◆粘り強い対話を通じて
米国と中ロが衝突を避けるには、相互不信の連鎖を断ち切る必要がある。マルタ会談でゴルバチョフ氏はブッシュ氏に「米ソは対話と相互作用と協力を運命づけられている」と語った。
レーガンゴルバチョフ両氏のジュネーブ会談から冷戦終結までには四年の歳月を要した。今回も長い道のりになるだろう。それでも、平和共存のためには粘り強く対話を重ね、相互理解と信頼を積み上げていくしかない。