(余録)「自由主義は多くの難題を抱え、民主主義も完全ではありません」… - 毎日新聞(2019年11月9日)

https://mainichi.jp/articles/20191109/ddm/001/070/074000c
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自由主義は多くの難題を抱え、民主主義も完全ではありません」。こう述べたのはケネディ米大統領で、1963年に西ベルリンの市民を前に「私はベルリン市民です」とドイツ語で連帯を呼びかけた後だった。
東西冷戦下、西ベルリンは東独内で孤立し、周囲には東独市民が西に逃亡するのを防ぐ壁が造られていた。ケネディは先の言葉に続けて、「だが私たちは自分らの人民を閉じ込める壁を造ったりはしない」とソ連陣営を批判したのだ。
演説の結びでケネディが語った希望、「この街が一つになり、欧州が一つになる日」は26年後のベルリンの壁崩壊で実現する。だがその彼も、さらに30年後、国境の壁の建設を公約とした大統領が米国を統治するとは思わなかったろう。
ベルリンの壁崩壊当時、世界には国境などの壁が16カ所あった。だが近年は60カ所を超えるという研究者の調査がある。イデオロギー対立の壁が取り払われ、グローバル化した世界をいくつにも分断する民族や国家の自己主張である。
「一つの欧州」を実現した欧州連合(EU)においても、移民などへの草の根の反発が各国で自国中心主義を噴出させた。その象徴といえるのが、今や欧州諸国での総延長がベルリンの壁の6倍になる難民流入防止用フェンスである。
グローバルな経済の下で「一つ」になった世界を複雑に分け隔てる人々の心の中の「壁」だ。それらの間で揺らぐ自由主義や民主主義の「難題」「不完全」ばかりが際立(きわだ)つベルリンの壁崩壊30年である。