【私説・論説室から】プロイセンの君主制 - 東京新聞(2019年5月27日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019052702000142.html
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連載社説「天皇憲法」で取材した君塚直隆・関東学院大教授は、立憲君主制が独裁者の出現を妨げる、と指摘する。プロイセン帝国崩壊後、ナチスが台頭した経緯は連載で紹介した通りだ。
後日談がある。ナチ・ドイツ敗戦後、東ベルリンには、プロイセン皇帝、ホーエンツォレルン家の王宮がまだ残っていた。
東独共産主義政権は帝国主義のシンボルだとして爆破し、跡地にガラス張りの人民議会議事堂「共和国宮殿」を建てた。
ドイツ統一後、アスベスト石綿)が使用されていることが分かって使われなくなり、廃虚と化した。「宮殿」を残すべきとの声は高まらず、独連邦議会(下院)は「宮殿」取り壊しとバロック様式の王宮再建を決めた。寄付も集まり、今年秋に完成予定だ。
専制のイメージが強いプロイセンだが、治下ではベルリン大学が創設され、哲学者ヘーゲルの講義が評判を呼び欧州思想界に影響を広げた。新王宮内に設ける文化施設には、当時、海外に目を向けた言語学者、地理学者のフンボルト兄弟の名を冠するという。プロイセンの記憶は暗黒ではない。
これに対し、プロイセン崩壊後もたらされたナチス共産主義の独裁時代は忌み嫌われている。共通するのが不寛容なイデオロギーの押しつけ。民主主義と共存し得る君主制と決定的に違う点だ。     (熊倉逸男)