週のはじめに考える 陰謀論にだまされるな - 東京新聞(2019年10月20日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019102002000151.html
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ベルリンの壁が崩壊し来月、三十年を迎えます。冷戦による東西対立がなくなり、平和が訪れると期待しましたが、世界は新たな分断に苦しんでいます。
壁崩壊翌年の一九九〇年に東西ドイツが統一、さらに九一年末にはソ連が崩壊しました。東欧諸国も次々と自由主義化し、欧州連合(EU)や米欧の軍事同盟、北大西洋条約機構NATO)に加盟、世界は一枚岩になったかのようでした。しかし、そんな簡単な話ではありませんでした。
ドイツのメルケル首相が六月から七月にかけ、来賓歓迎式典などの際、何度か、全身が震える症状に見舞われました。健康についての懸念が広がりましたが、しばらくしてネット上で、症状の“理由”が解き明かされました。

◆笑い話では済まない
いわく、「メルケル氏は、トカゲのような姿の宇宙人に繰られている。だから人のためにならない政治をする。宇宙からコントロール用に送られている信号に支障が生じ、震えが出た」。
一種の陰謀論です。難民への寛容政策を進めるメルケル氏への悪意に満ちていますが、荒唐無稽な笑い話だとすぐに分かります。
しかし、笑い話では済まない、深刻な結末をもたらした陰謀論も相次いでいます。
今年三月、ニュージーランドクライストチャーチのモスクで五十一人を射殺した犯人はネット上に投稿した声明で移民を「侵略者」と呼び、「白人が非白人に意図的に置き換えられている」などと犯行の動機を説明しました。
八月、米テキサス州エルパソで銃を乱射し、二十二人を死亡させた犯人も声明で、町の人口の八割を占めるヒスパニック系住民による「侵略への対処だ」と述べていました。
いずれも具体的な根拠はなく、憎悪(ヘイト)と不安に根差しています。

ナチスによる悪用
かつて、こうした陰謀論を駆使したのがナチスでした。科学的な裏付けのない人種主義に基づいてユダヤ人を「劣等」と断じ、世界支配をもくろんでいるなどとして、絶滅を図りました。
ソ連に侵攻した独ソ戦は、ナチスによる「世界観戦争」の一面ももっていました。敵とみなしたソ連を絶滅させ、東方にドイツ人の新たな生存圏を確保するというものでした。住民らを大量殺害、捕虜らを虐待しました。独ソ戦でのソ連側死者は約二千七百万人に上ったともいいます(大木毅氏「独ソ戦」、岩波新書)。
ドイツが共産主義に乗っ取られるという陰謀論で脅威をあおり、先手を打った形です。
ナチスを繰り返すまいとしてきた戦後ドイツでも、極右らが「欧州の『先住民』であるわれわれを、イスラム教徒や有色人種に入れ替えようと、移民や難民が送り込まれてくる」などと主張するようになりました。
特に、旧東独地域で声高です。「西洋のイスラム化に反対する」と主張する団体「ペギーダ」が五年ほど前からデモを繰り広げ、欧州各地で相次いだイスラム過激派によるテロで勢いづきました。
勢いは右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」で政治的に結集されました。二年前の連邦議会(下院)選挙で第三党に躍進。先月の旧東独地域二つの州議会選では第二党になりました。
今月九日には、反ユダヤ主義者の男(27)が、ハレ市のシナゴーグユダヤ教礼拝堂)付近で銃を乱射、二人が亡くなりました。
賃金など旧西独地域との経済格差や、既成政治への不満が強まっている背景もあるのでしょう。統一のひずみは今なお、払拭(ふっしょく)されていません。
今年六月には、比較的、寛容なはずの旧西独地域でも難民保護に関わってきた政治家が極右に射殺され、衝撃が広がりました。
政治家のプライバシーや政治家へのヘイトはSNSで拡散されていました。ネット社会になって陰謀論はますます猛威を振るうようになっています。

◆ネットで内面に浸透
ネットで個々人の内面にまで入り込む陰謀論による社会の分断は、国単位で対立していた冷戦時代とはまた違った、対処の難しさがあります。
「トランプ米大統領は悪と戦う救世主」と主張するネット集団「QAnon(キューアノン)」など、大国の指導者周辺からも陰謀論が発信される時代です。
正確な情報を見極めて、冷静に判断するしかありません。われわれメディアの役割も重要だと自覚しています。
小さなうそや風評から、暴力にまでエスカレートしかねない陰謀論の「陰謀」に欺かれないよう、自戒したいものです。