知事と護国神社 政教分離がゆるがせに - 信濃毎日新聞(2019年8月23日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190823/KP190822ETI090015000.php
http://web.archive.org/web/20190823063814/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190823/KP190822ETI090015000.php

国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない―。憲法は信教の自由を保障し、前提として徹底した政教分離を定めている。そこには国だけでなく地方自治体も含まれる。
その原則をゆるがせにする行為と言うほかない。阿部守一知事の県護国神社との関わりである。「個人としての活動」という説明で済ますことはできない。
護国神社の崇敬者会の会長を、知事1期目の2011年から務めている。神社を物心両面で支える組織だ。鳥居を修復するための寄付を集める趣意書にも会長として名を連ねていた。
戦前、政府は神社神道を事実上の国教と位置づけて天皇による支配を正当化し、国の統治に利用した。戦死者を「英霊」として祭る靖国神社や各地の護国神社軍国主義の精神的な支柱として国民を戦争に動員する役割を担った。
その国家神道体制への反省に立って現憲法は厳格な政教分離を定めた。単に国家と宗教を切り離したのでなく、公権力と神道の関係を断ち切る意味があったことを見落とすわけにいかない。
崇敬者会の会長職について阿部知事は、個人として引き受けている、政教分離に違反する行為をした認識はないと述べている。憲法を尊重擁護する立場にありながら、見識を疑う発言である。
憲法が禁じる「宗教的活動」については、学説の多くが広く捉える一方、最高裁は限定して解釈する基準を示してきた。特定の宗教を援助、助長、促進する効果があるか―。判例のその基準に照らしても、知事の神社との関わりは政教分離の原則に反すると憲法学者らが指摘している。
寄付集めにまで関与したことは宗教的活動にあたる疑いが濃い。春の神社例祭にも出席し、参拝して祝辞を述べている。公務ではないとするが、公の場で神社との結びつきを示すような行動は知事として取るべきでない。
護国神社によると、これまでも田中康夫氏を除く歴代の知事が崇敬者会の会長に就いてきたという。阿部知事が就任して既に8年。寄付集めの趣意書に目を留めた人も少なくないはずだ。県議会が承知していながら長く見過ごしてきたとすれば、その責任も問われなければならない。
神道が国家体制に組み込まれ、軍国主義を支えた時代を振り返るとき、政教分離は決して軽んじてはならない原則である。そのことを広く社会で再認識し、問題意識を共有する機会にもしたい。