木村草太の憲法の新手(93)秋篠宮さま異例の発言 政府は皇族と意思疎通を - 沖縄タイムス(2018年12月2日)

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大嘗祭(だいじょうさい)について秋篠宮さまが発言し、波紋を呼んでいる。大嘗祭は、新天皇即位の際に、神々に五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る、天皇家の行事の一つだ。
今上天皇即位の際に行われた1990年の大嘗祭では、(1)政府が主催する行事ではないこと(2)宗教色の強い儀式であることから、その費用を公費負担とすべきか−が議論された。政府は、大嘗祭が、「一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式」であり、「国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられ」、「公的性格がある」として、公費である宮廷費から支出すると決定した(平成元年=1989年=12月21日 閣議口頭了解)。
2019年には、新天皇の即位があり、それに続き、大嘗祭も執り行われる予定だ。政府は、前例踏襲で、宮廷費から費用を支出することを決定した。これに対し、秋篠宮さまは、11月30日の誕生日に報道された記者会見で、大嘗祭は「皇室の行事として行われ」、かつ「宗教色が強いもの」だから「それを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈した。私は、最高裁判決の分析に照らして、この発言は、もっともだと思う。以下、解説しよう。
しばしば、大嘗祭への公費支出は、最高裁で合憲性が認められたと解説される。しかし、それは誤解だ。
前回の大嘗祭には、各地方公共団体の代表として都道府県知事が参列した。それに関して、幾つかの県で、「知事参列のための県費支出は政教分離原則に反する」として、住民訴訟が提起された。
最高裁は、確かに、知事の大嘗祭への出席は、「天皇に対する社会的儀礼を尽くす」もので合憲と判断し、訴えを退けた。しかし、大嘗祭への公費支出そのものの合憲性については判断していない。
むしろ、「大嘗祭は、天皇が皇祖及び天神地祇(ちぎ)に対して安寧と五穀豊穣等を感謝するとともに国家や国民のために安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であり、神道施設が設置された大嘗宮において、神道の儀式にのっとり行われた」ことから、宗教性があると判断した。明確に宗教性を認めた最高裁判決がある以上、次の大嘗祭への公費支出は、より慎重に検討すべきだったろう。
なお、秋篠宮さまの発言については、「皇族は政治的発言に慎重であるべきだ」との批判もある。しかし、そもそも憲法は、天皇は政治的権能を持たないとするだけで、皇族の政治発言を禁じているわけではない。また、秋篠宮さまは、(1)大嘗祭が「皇室の儀式」であること(2)皇族の一員としての発言であること−を強調する。
そうすると、この発言は、「違憲の疑義ある公費投入によって、儀式の正統性を傷つけたくない」という当事者としての発言であって、政治社会の一員として政府決定を批判する「政治発言」とは性質が異なる、と理解することもできよう。
とはいえ、秋篠宮さまの発言が、かなり異例な発言であることは確かだ。そうした発言をせざるを得ないところまで追い込んだのは、公費支出の決定手続きで、皇族の意思が尊重されなかったということだろう。政府は、皇族との意思疎通からやり直すべきではないか。(首都大学東京教授、憲法学者