天皇と憲法(5) 未来の皇室のために - 東京新聞(2019年5月3日)

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天皇家は長い固有の伝統を継ぐ。それゆえ民主主義や自由、権利、平等の近代的価値観とうまく接着できない面がある。解決には国民との対話が必要だ。

皇室経済法のある条文-。

皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける>

「由緒ある物」とは何だろうか。皇位継承と密着しているから、いわゆる三種の神器を指すとも考えられる。鏡、剣、璽(じ)(勾玉(まがたま))で、今回の即位の礼にも剣璽等承継の儀があった。

国家神道とは離れて

この解釈をめぐり、「憲法天皇制」(岩波新書)の著者・横田耕一九州大名誉教授は、次のように記している。
「神器継承儀式が政教分離原則に違反するなら、この規定を根拠にそうした儀式を行うことは許されず、またそうした儀式を定めたものとしてこの規定が解釈されるなら、この規定自体が違憲
明治から天皇制は神道と強く結び付いた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は国家神道軍国主義が再び接しないよう、国家神道の廃止を求めた。兵隊が「天皇陛下万歳」と命を投げ出す源泉をそこに見たのだ。それゆえ日本国憲法では政教分離原則が規定された。
だから、この原則に皇位継承の儀式が反するならば、「違憲」になる解釈も成り立つわけだ。同じ問題は、天皇の代替わりの重要祭祀(さいし)である大嘗祭(だいじょうさい)でも起きる。
即位の中心的な儀式である即位の礼などは国事行為として執り行われる。それに対し、大嘗祭は皇室の行事である。
十一月中旬に行われ、新穀を神々に供えて祈る儀式である。宗教色が濃いため、憲法政教分離原則に配慮して、皇室行事となった。平成での前例に倣った結果でもある。

政教分離原則に照らし

だが、前回は国事行為としないとしつつ、費用は国費を充てた。政府は「重要な儀式で公的性格が認められる」としたが、知事の参列などは政教分離原則に反すると訴訟が各地で起きた。
請求は退けられた。だが、大阪高裁ではこんな指摘が出た。

国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない>
皇位継承に伴う儀式には、違憲の疑義がぬぐい切れないものもあろう。皇統の継承儀式により、天皇を神聖化することは、国民に特定の宗教を強制することにもつながるからだ。
皇位継承の論点はいくつもある。憲法では皇位世襲で、皇室典範に基づき継承すると定める。典範の一条はこう記す。

皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する>
この規定のため、未来に皇統をどうつなげるかが問題になる。少子高齢化とともに、皇室も男性皇族の減少に直面することになったからである。
だが、「男系男子」の規定は明治以降のことで、江戸時代までは女性天皇も、天皇に養子を迎えることも許されていた。歴史上では女性天皇が八人(十代)いた。
古くは推古、持統の両天皇が有名であるし、江戸時代にも二人の女帝がいた。約二百年前に退位した光格天皇閑院宮家から天皇の養子になり、即位した人だ。
今回の退位は光格天皇以来で、明治からの終身在位制に一つの風穴を開けた。退位を大多数の国民が支持したからだ。
もはや「一代限り」で収まらないはずである。退位の自由ができれば、即位しない自由も生まれる可能性はある。時代の動き次第では天皇制の存廃議論もありえる。
つまり、明治以降の「男系男子」の定めも、時代とともに国民意識が変わり、女性の天皇の容認などに広がるのではないか。男女平等の憲法の下では、ふさわしいとも考えられる。少なくとも天皇代替わりの儀式に女性皇族を参列させないのは時代錯誤である。
日本国憲法は身分制を含有する。天皇・皇族・国民という三つの身分が存在する。天皇家には特権があるが、その代わり選挙権や職業選択の自由、居住の自由などがない。表現の自由なども、大幅に制限されている。

天皇家に自由の風も

つまり天皇家は「身分制の飛び地」に住んでいるわけだ。そのような天皇制は曲がり角にきてはいないか。
当事者である皇室の声に耳を傾けてもみたい。西欧王室より窮屈そうな天皇家にもっと自由の風が吹くだろうか。伝統を傍らに置きつつも、象徴天皇制をどう考え、どう変えるかは私たち国民の側に多くを委ねていよう。 =おわり

 (桐山桂一、豊田洋一、熊倉逸男が担当しました)