旧開智学校 教育の尊さ語る新国宝 - 東京新聞(2019年5月31日)

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明治時代の初期に建てられた長野県松本市の旧開智(かいち)学校の校舎=写真=が、明治以降の学校建築では初めて国宝に指定される。先人が教育を尊び、熱意を傾けた歴史を今に語り継ぐ貴重な新国宝だ。
旧開智学校は、一八七六(明治九)年に完成した。幕末から明治に全国で流行した「擬洋風(ぎようふう)建築」で、木造の二階建て。中央の八角形の塔などハイカラな洋風建築の特徴とともに、竜の彫刻など和風の意匠も併せ持っている。
一九六一(昭和三十六)年に国の重要文化財となり、国の文化審議会は今月、国宝への格上げを柴山昌彦文部科学相に答申した。
この学校が誕生した背景には明治時代、開国を受けて海外列強の国力を目の当たりにした新政府が、軍備の拡大などの一方で教育の充実に力を入れたことがある。
一八七二(明治五)年に公布された学制は、すべての国民が教育を受けられることを眼目としていた。これを受けて全国で学校が次々と建設されたが、そのころは学区内の住民が資金を拠出するのが一般的だった。旧開智学校の場合、当時の金額で一万一千円余り、現在では一億円以上にもなる建築費の約七割を、住民約一万六千人で出し合ったと伝えられる。
教育に熱心な土地柄で、「学都」とも呼ばれる松本市。市内には八五(明治十八)年の建築で、同じく八角塔を持つ擬洋風の旧山辺学校校舎も現存している。
市内にはまた、天守が国宝に指定された五つの城のうちの一つ、松本城もある。これも明治時代、地元の住民たちが解体や倒壊の危機から守った貴重な史跡だ。
だが、武士階級の統治や戦闘の拠点だった城郭とは異なり、民主国家の基礎である識字をはじめ、一般国民への教育の場となった地域の学校を国宝に位置づけることは意義深いといえよう。
今年は「第二の開国」といわれる外国人労働者受け入れの拡大が実施された。夜間学校など働きつつ学べる仕組みや、日本語教育の充実が懸案となっている。
こうした今、先人が教育に費やした労力を伝えるためにも、各地の歴史ある学校建築への関心を高めていきたい。旧開智学校の国宝指定をそのきっかけにしたい。