[新元号は「令和」]多様性尊重する社会を - 沖縄タイムス(2019年4月2日)

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政府は「平成」に代わる新しい元号を「令和(れいわ)」と決定した。
これまでの元号は「五経」など中国の古典を典拠としていたが、「令和」は、万葉集の梅花の歌の序文から2文字をとった。
日本の古典に由来する元号は、確認できる限りでは初めてである。なぜ、今、国書なのか。
古典中の古典といえる万葉集を典拠としたことは、多くの国民に好意的に受け止められそうだが、台頭する中国を意識した対応だという見方も根強い。
安倍晋三首相は新元号発表後の記者会見で「国柄」ということばを強調した。「国柄」を強調するあまり、他国の文化への敬意を欠いた偏狭なナショナリズムを育てるようなことがあってはならない。
天皇退位に伴う改元は憲政史上初めてである。
どのような議論を経て新元号が決定されたのか、肝心のプロセスがはっきりせず、不透明感がつきまとう。
天皇が「日本国民統合の象徴」と位置づけられている以上、広く情報を開示し、公正な手続きに基づく結論だということを国民が納得する形で示さなければならない。
日本人は大事件や歴史の転換点を元号で記憶してきた。「明治維新」「大正デモクラシー」「昭和一ケタ生まれ」などの言葉がそうだ。
その半面、歴史の流れをつかむことが難しく、同時代の世界史の動きと比較する視点を持ちにくいなど、マイナス面も多い。元号を強制することがないよう求めたい。
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元号は「皇帝が時間を支配する」という中国の古い思想を取り入れたものである。
沖縄は元号使用という点でも、本土と異なる歴史を歩んできた。
中国と冊封関係を維持していた琉球王国は、各種の公文書に中国年号を用いていた。 琉球併合の際、明治政府は、明治年号を奉じ、年中儀礼はすべて布告を順守するよう申し渡し、中国との関係断絶を迫った。
戦後は、米国民政府の布令・布告だけでなく、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記された。
大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった。
西暦と元号のどちらになじんできたかは、世代によって異なる。それだけでなく、一人の人物の中でも、西暦時代と元号時代をあわせもっているのが現実だ。
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元号が発表された1日、列島全体がお祭り気分に包まれた。
全国各地で新元号予想のイベントが実施され、改元グッズが飛ぶように売れた。
1989年に始まった「平成」という時代は30日に幕を下ろし、新元号を定めた政令は、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日午前0時に施行される。
天皇退位による改元」は、憲法元号の関係、象徴天皇制と民主主義の関係、象徴天皇制そのものの将来を考える機会でもある。