(余録) 福島市の詩人、和合亮一さんに「ランドセル」という作品がある… - 毎日新聞(2019年3月11日)

https://mainichi.jp/articles/20190311/ddm/001/070/173000c
http://archive.today/2019.03.12-012704/https://mainichi.jp/articles/20190311/ddm/001/070/173000c

福島市の詩人、和合亮一(わごう・りょういち)さんに「ランドセル」という作品がある。東日本大震災の年に生まれ、小学校に入学した子供たちに思いを寄せた。
あの時「ぼく」は母のおなかの中にいた。<早く高台のほうへ そう言って助けてくれた彼は 波に巻き込まれてしまった 父さんが時折に話します 体の中が熱くなります>。避難先で生まれ、震災の記憶はない。でも自分の命は亡くなった古里の人とつながっている。「ぼく」はそのことをかみしめ生きていく。
震災からきょうで8年。福島の復興はなお遠い。津波原発事故に襲われた大熊町はようやく一部で避難指示が解除される。原発立地自治体では初めてだ。町には二つの小学校があった。3年後に町内の別の所で再開するが、どれだけ子供が帰ってくるか分からない。
町の海側には県内の除染作業で出た汚染土の中間貯蔵施設が建つ。貯蔵作業の進み具合を映像で伝える環境省の施設が1月にできた。施設一帯をドローンで撮影した映像が流れ、そこにはかつての小学校もある。容易に近づけず、空から記録する町の風景に心が痛む。だが詩の中の「ぼく」はいつか古里の力になるだろう。
<ぼくには 夢があります 知って下さい いつか 赤い雲の先で 新しいランドセルを 背負ったばかりの いまはまだ小さい ぼくのことを ほんのひとあしを>。亡くなった人たちが、夕焼けの向こうで見守ってくれる。
被災地の未来への歩みは続く。たとえゆっくりでも。希望はそこにある。

 

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