<ひと ゆめ みらい>体験通し「平和の尊さ」口演 落語家・柳家さん八さん(74)=江戸川区:東京 - 東京新聞(2019年2月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201902/CK2019021802000120.html
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「落語家として多くの人に平和の大切さを伝えたい」。犠牲者が推定十万人に上る東京大空襲を落語で伝える「東京大空襲夜話」を、全国各地で十年以上、演じ続けている。
東京の下町、江戸川区平井の「江戸時代みたいな長屋」で生まれた。生後半年たった一九四五年三月十日、東京大空襲の夜、猛火の中を乳飲み子の自分は母に負ぶわれ、足の不自由な祖母を背負った父と四人で命からがら生き延びた。
二十二歳で落語家の五代目柳家小さん師匠に弟子入り。従軍経験が長い師匠は「おまえら、いい時代に生まれたよ。戦争ってのは勝っても負けてもするもんじゃねえ」とお酒の席で語っていた。
戦後六十年のタイミングで「はなし家として、自分にできる落語で東京大空襲を寄席芸にできないか」との思いが募った。終戦後、幼い自分に一つ布団の中で祖母から伝えられた大空襲の記憶を、「ある一家の話」としてまとめて落語に。
地域の防空や消防活動を担う警防団員だった父が空一面のB29に驚く場面や、一家で逃げ惑い、防空壕(ごう)に入れず江戸川区の中川新橋の下で難を逃れるまでの様子を情景豊かに演じる。最後には、ほっとする仕掛けがある。
二〇〇四年の初演以来、各地の小中学校や地域寄席などで依頼を受け、年十回ほど巡演を続ける。落語を聞いた子どもたちから感想として「今が平和で良かった」などと素直な意見が寄せられ、やりがいを感じる。
しかし戦後年月が経過し、「今は子どもたちの親や、その親まで当時を知らない人が多くなっている」。長年演じる中で、聞き手の反応を感じながら少しずつ工夫を重ねる。「筋と人は変わってないけど、表現の仕方やなんかは随分変わってきてるんですよ」。冒頭に演じる小さん師匠との軽妙な「へぇ、そうなんですか」「それで」などの会話のやりとりを多く盛り込み、自然な形で若い世代にもより分かりやすくしてきている。
「自分も今年は後期高齢者。戦後生まれの人たちに聞いてもらって、なぜ今自分たちが豊かな生活をしているか考えてもらいたい」と話す。大空襲夜話をライフワークと位置付け、「同じ過ちを繰り返さないよう伝承していくために、これからもほそぼそと続けていきたい。口がきけるうちはね」。  (長竹祐子)

江戸川区南葛西在住。本名は清水聡吉。1966年、5代目柳家小さん師匠に入門。81年真打ち昇進。2006年落語協会監事に就任。都内各寄席や地域寄席に出演しながら「東京大空襲夜話」の公演も続ける。著書に「実録噺・東京大空襲夜話」(新日本出版社)、息子との共著「八っつあんの落語一代記」(彩流社)。