不戦の決意を新たに 東京大空襲72年:東京 - 東京新聞(2017年3月11日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201703/CK2017031102000167.html
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下町を中心に猛火が包み約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から72年の10日、犠牲者を追悼する集会が各地で開かれ、記憶の継承と不戦の決意を新たにした。

◆台東・隅田公園で体験者2人語る
台東区浅草では、隅田公園の追悼碑前に百二十人が集まった。市民有志の実行委員会主催。空襲を体験した二人が、惨劇の夜の出来事を語った。
同区花川戸の飯田晴太郎さん(85)は、隅田川に近い自宅で空襲警報を聞いた。外に出ると、ふとんを積んだリヤカーが爆風で飛んできた。母親と二人で吾妻橋へ逃げると、川ではいかだに火が付き、水面が燃え上がっていた。橋に近い建物の隙間に身を潜め、夜明けを待った。「火がはってきて、痛くて目が開けられなかった」と語った。
長野県諏訪市の宮坂順明(じゅんあき)さん(91)は、学徒動員された工場で働いていた。亀戸(江東区)の寮で先輩三人とマージャンをしていた時、空襲警報と爆発音を聞いた。急いで四人で外へ出たが、火が付いた荷物を目の前にして後ずさりし、三人とはぐれた。
「それが永久の別れになった」。宮坂さんは涙をにじませながら、火の海の中を逃げ延び、翌朝、遺体の山を見て放心状態になったことを語った。(神谷円香)

◆「平和の像」前に折り鶴 江戸川区でも式典
江戸川区では、被害が大きかった小松川地区の「小松川さくらホール」で区民ら約二百五十人が参加する式典が開かれた。主催した「世代を結ぶ平和の像の会」の楠田正治代表幹事(72)は「肌で戦争の苦しさや平和の尊さを知る人は減っているが、これからも後世に伝えていく」と強調。多田正見区長は「平和活動をさまざまな形で残すのは私たちの使命」と話した。
平井東小学校六年の今井奈々子さん(12)は、祖母に疎開経験を聞いてまとめた作文を朗読し「戦争を忘れないことが、戦争や空襲で亡くなった犠牲者を弔うことになる」と述べた。
隣接する公園内にある「世代を結ぶ平和の像」の前では、近隣の小中学生らが折り鶴をささげ、区民らが白菊を献花した。毎年式典に参加している同区平井の佐藤輝男さん(78)は「仙台に疎開して自分は無事だったが、平井の自宅は跡形もなくなった。空襲で亡くなった親戚を思い出してしまう。やっぱり何があっても戦争はダメだ」と話した。(石原真樹)

◆平和の日記念式典 都庁で600人が祈る
都主催の平和の日記念式典が都庁で開かれ、遺族ら約600人が犠牲者の冥福を祈った。戦争の惨禍を繰り返さないという誓いを込め、都は3月10日を「平和の日」と定めている。
黙とうと国歌斉唱の後、小池百合子知事が「今の平和と繁栄は、多くの都民の尊い犠牲の上に築かれたものであることを忘れてはならない」と述べた。
空襲被災者を代表し、佐久間国三郎さん(87)=新宿区=も登壇。空襲に遭った15歳当時を振り返りつつ、「平和の尊さと命の大切さを後世に伝えていくことが戦争体験者の使命だ」と話した。(唐沢裕亮)