きょう東京大空襲から71年 上野で1200人慰霊 - 東京新聞(2016年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031002000155.html
http://megalodon.jp/2016-0310-0936-22/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016031002000155.html

「八十歳を過ぎたいまでも母が恋しい。あの戦争がなければ」。東京大空襲で両親を含む家族六人が犠牲になったエッセイスト海老名香葉子さん(82)は九日、自らが主催する台東区内の慰霊行事「時忘れじの集い」で、今年もつらい戦争の記憶を語った。 (松尾博史)
十万人が犠牲になった東京大空襲から十日で七十一年になるのを前に開かれた慰霊行事は、今年で十二回目。遺族を含む千二百人余りが集まった。
寛永寺現龍(げんりゅう)院の慰霊碑「哀(かな)しみの東京大空襲」の前で供養式が営まれたのに続き、上野公園内の母子像「時忘れじの塔」の前で始まった記念式典で海老名さんは、会場に降り注ぐ雨に触れ「(多くの参加者が集まったことに)空襲で亡くなった人たちが、涙を流して喜んでいると思う」と感謝を述べた。
敗戦の混乱のなかで中国から引き揚げた漫画家、ちばてつやさん(77)も「最近は大人たちも戦争の悲惨さを忘れている」とあいさつ。海老名さんの次男で、戦意高揚のためにつくられた「国策落語」の再現に取り組んだ落語家の二代目林家三平さん(45)も「これからも、戦争の悲惨さやつらさを伝えていきたい」と決意を語った。
式典では地元の台東初音幼稚園の園児と、根岸小学校の五年生が合唱を披露。忍岡中学校の生徒は、海老名さんが戦争体験をつづった著作の一部を朗読した。
会場を訪れた千葉県習志野市の大学二年、野口あかりさんは「戦争のことは教科書などでしか知る機会がありませんでしたが、海老名さんのお話から、つらい経験が伝わってきました」と話した。