木村草太の憲法の新手(98)校則問題(下)丸刈り強制は違憲で違法 - 沖縄タイムス(2019年2月17日)

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県民投票は告示にこぎつけた。校則問題の検討に戻ることにしよう。(1月6日付の「校則問題 上」に続く)

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校則それ自体には、法的拘束力がないことは確認された。今回は、今後の校則の在り方を考えよう。
第一に、法的権限の行使基準としての校則を作ること、それ自体を否定する必要はない。職員室に呼び出しての指導にせよ、懲戒処分にせよ、統一的な基準なしにこれを行えば不公平が生じる。
この点、学校教育法施行規則26条5項は、「学長は、学生に対する第2項の退学、停学及び訓告の処分の手続を定めなければならない」と定める。この規定が要求するのは「手続法」のみだが、公平確保のためには、何をすると懲戒対象になるのかという「実体法」についても、ルールを明確にした方が、法令の趣旨にかなうだろう。
第二に、校則を作る場合には、法的根拠を明確にすべきだ。一口に校則といっても、「懲戒処分基準」と「施設管理権に伴う要求事項」とでは、法的根拠が異なる。校則の妥当性をチェックする際には、この違いが重要だ。したがって、校則は、「○○校懲戒基準」とか、「○○施設利用規則」といった形で、法的根拠ごとに分類して定めるべきだ。
第三に、違反時の扱いの明記も重要だ。「規則が合理的だ」と言えるには、違反に対する制裁の程度が適切であることも必要だ。前回紹介した裁判例のように、校則に「男子は丸刈り」と書いてあった場合、学校で強制的に丸刈りにするなら人権侵害だが、違反者に何もしないなら、問題にする必要はない。よって、校則には、違反者に対して、懲戒処分や強制を行うのか、それとも学校の希望を伝えるにとどまるのかを明記すべきだ。違反時の扱いが定められていない場合には、懲戒処分や強制を予定しないものとして扱うべきだろう。
第四に、校則による処分・強制の適法性を担保する仕組み作りが必要だろう。ここで重要なのは、処分や強制の適法性は、法律や判例を基準に判断されるという点だ。しばしば、校則の策定は、生徒自身やPTAが関与すべきとも言われる。しかし、生徒やPTAは法律の専門家ではない。また、「自分は丸刈りが好きだから、他の子どもにもそれを強制したい」と考える生徒が多数派だったとしても、丸刈り強制は人権侵害であり、違憲・違法だ。校則の適法性の担保のために必要なのは、生徒らの関与ではなく、弁護士など法律専門家の助言や関与だろう。
第五に、校則違反者へのいじめ防止も必要だ。校則違反者に対しては、しばしば、児童・生徒による嫌がらせが行われる。しかし、校則は、教育や施設管理のために存在するのであって、子どもたちがいじめのターゲットを選ぶ基準ではない。
特に、「子どもたち自身が作る校則」は、違反者への憎しみを募らせやすく、いじめを誘発する危険を持つ。学校には、いじめ防止義務がある。「子どもたちが自ら話し合って決めたルールだから」と安易に校則化するのは、少数派に対する抑圧となる。必要のない校則は、作らない方がよいだろう。
このように、校則問題は、処分や強制の適法性を問い、法的根拠を分析することで解決すべきである。(首都大学東京教授、憲法学者)=第1、第3日曜日に掲載します

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お知らせ 本コラムを収録した書籍「木村草太の憲法の新手」(沖縄タイムス社、1200円)は、県内書店で販売されています。

木村草太の憲法の新手